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Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

愚痴をこぼすだけでは、自分たちの生活は守れない

「参ったよ…ある程度想定はしてたんだけどね…」

 
最初のオーダーの品が運ばれてくるなり、彼は口を開いた。
 
お盆休みで帰省してきた友人と、久々に飲みに来ていた。帰省と言っても、彼が今住んでいるのは隣県の過疎地域。今でもお互い「田舎のひと」だ。
 
「メーカー子会社だったうちの販売店、隣県のグループと合併やらなんやらを繰り返して、結局メーカーから切り離されることになりそうだ。」

 

思っていたより豪華だった生ハムのオードブルをつつきながら、彼は言った。
 
「今までは100%メーカーの子会社だったから、まがりなりにも給料や福利厚生は優れていた。でも、切り離されて自社運営になったら間違いなく給料は下がる。人員整理だって始まるかもしれない。一応、社員の中ではまだ若いほうだから、リストラの可能性は低い…と、信じたいけれど、こればっかりは、わからないしな…」
 
僕はグラスに満たされたビールの半分を一気に煽った。酔いはすぐには回ってこない。指先が冷たいのを感じる。
 
彼はグラスのビールを少しだけ口に含み、大きなため息をついたあと、続けた。
 
「結局、これからどうなるかは実際に自社運営が始まってからじゃないとわからない。だから、割り切って働き続けるしかない。わかっているんだけど…ね。
もし、リストラの対象になったら…なんて、そんな目先のことだけじゃない。会社に将来性がないのが目に見えているんだ。営業努力は当然している。でも、メーカーの製品に魅力がないんじゃ、どれだけ営業力があってもモノが売れない。
売れなくても、メーカー子会社だったときは業績の悪さはメーカーがバックで支えてくれていた。でも、自社運営じゃ、業績の悪さはそのまま社員に跳ね返ってくる。想像しただけで吐きそうだ。」
 
ビールを飲んだばかりなのに、僕の口はカラカラに乾いていた。唸るような相槌と、グラスを口に運ぶことの繰り返ししかできない。
 
窓の外に行きかう人の流れを眺めながら、彼は続けた。
 
「ただのメーカーの販売員だった自分が、転職となると結局似たような業界しかない。そうすると、今住んでいる田舎じゃ待遇はたかが知れている。それどころか希望に副った求人がない可能性のほうが高い。それならば、むしろ勤続年数が長い分、今の会社にいたほうが昇格の芽があるかもしれない。
…いったいどうしたらいいんだろう。自分みたいに手に職もなければ、学歴も優れていない。そんな人間でも、なんとか中庸な家庭は築けた。ただ、それが続くかどうかはまるで運任せになってしまった。普通に暮らしていくことって、こんなに難しいことなんだろうか?」
 
「そう…だね…」
 
グラスはもう空だった。
 
   ◆
 
彼は大手メーカーの直営の販売店に入った。今から10年前の話だ。当時はメーカーの商品には販売力があり、業界内でも上位に位置するメーカーだった。
が、今は全く違う状況になった。明らかに商品に魅力はなく、僕の周りでもそのメーカーのユーザーを目にすることは少ない。
だからと言って、メーカーは何をやっているのだ、と愚痴をこぼすだけでは、自分たちの生活は守れない。
 
リスクヘッジしてこなかった自己責任だろ、と言ってしまえばこの話は終了だ。でも、人それぞれできることに上限はあると思う。そしてこの話だけで彼がリスクヘッジを怠っているかどうかはわからない。
 
僕も彼も、ただ普通に働いて、普通に暮らしたいと思っているだけだ。ここでいう普通が何なのか、お前らの普通は望みが高すぎる、そんな意見もあるだろう。しかし、自分たちが就職後10年間で築いてきた生活が、今の僕らの揺るがない普通として根ざしている。だから、それが失われることが何よりも怖いのだ。そして、彼と僕の置かれている状況に違いがあるかと言われると、自信をもって「僕は大丈夫だ」とは決して言うことができない。
 
先の見えない不安。酒で忘れられるくらいならいい。だけど、突きつけられた現実に、自分たちは薄氷の上で暮らしているんじゃないかと感じさせられる。
 
田舎で、今までの生活を守ることって、こんなに大変なことなんだな…
ぼんやりと漂う無力感に苛まれながら、おっさんリーマン2人で、傷を舐め合う夜になった。