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Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】人の抱く最も強い感情は、LOVE & HATE『淵の王』

読書

淵の王

淵の王


読み始めてすぐは「何これ?」の感覚。ありがちな設定だけど、それを単純に受け入れていいのか?そんな簡単な話なの?と若干不安を覚える。

で、読み進めるにつれて、その疾走感と本書の設定の必然性にグイグイ引き込まれておしまい。一気読み。

短~中編が3本入っていて、それぞれにストーリー上の繋がりはない。
ただ、3本とも基礎は同じで、それぞれに主人公はいるのだが、物語はその主人公のすぐ近くにいる第三者の視点で描かれる。この第三者が、それぞれ意思を持っているが、主人公やその他登場人物に姿が見えていない。人ではない何か。
「守護霊」みたいなものと置き換えればわかりやすいかもしれないが、実際そうでもない。この意識たちは別に主人公を「守護」してないし、ただ一方的に主人公の人生を俯瞰して眺め、ずっとそこにいるだけの、意識だけの存在。
誰にも見えない、主人公に寄り添う何か。この「何か」が物語を語る。「何か」3編それぞれで別人で、性別も男女あるが、名前がなく、結局最後まで何者なのかもわからない。

主人公たちは、それぞれの夢や恋愛の道を進んでいく、つまり人生を送っていくんだが、そこに邪悪な意思が介入してくるのが3編に共通した大筋。
この「邪悪な意思」も、超自然的な何かであり、語り手である「何か」に近い存在に映る。だが、「何か」も「邪悪な意思」を恐れ、直接対峙することはない。
「主人公」と「邪悪な意思」の対決を「何か」が己の感情を交えて語る。「何か」は主人公に寄り添った存在であるので、読者は必然的に主人公よりも「何か」に感情移入していく。

超自然である「邪悪な意思」の存在により、本書はホラーとしての側面が強い。作者である舞城王太郎特有の疾走感に引っ張られ、ページを手繰る手が止まらなくなる。だがそれは、ホラーを読むときの「怖いけど先が気になる」感覚とは少し違う。

主人公たちはわかりやすく「善」である面を振りかざしてくれる。その「善」の面を「何か」によって読者は理解していくのだが、共通しているのは主人公たちの根底にある「愛」だ。
愛のベクトルは様々だが、導かれる先はすべからく己の信じる道であり、見据えているのは光だとはっきり読み取れる。

だが、その主人公たちは、闇を抱えた人間たちに翻弄される。
闇を抱えた人間たちが抱くのは、恨み、妬み、それらを増幅させた呪いであったり、高められた負の感情。
強烈な負の感情を投げかけてくるものたちに、読者は語り手である「何か」とともに怖さを感じるが、主人公たちは光の意思でそれらと対峙する。

しかし、そこでさらに、極限まで高められた負の感情により、真っ黒な塊となって現れる超自然的な「邪悪な意思」が、主人公の愛を踏み潰してくる。

対峙するものたちの根底にあるのは、愛と憎しみだ。それらの力が極限まで高まったことによって生まれた力に、飲み込まれていくようにして物語は進む。

読者は「何か」の立場から、主人公たちに負けないでほしい、「邪悪な意思」を打ち砕いてほしいという気持ちを重ね、読みながら絡みつく愛と憎しみに巻き込まれてねじ伏せられてしまう感覚。
怖いから、面白いから読むんじゃない。ただ、主人公が突き進む光の道の先にある答えを見たいから。おっかなびっくりではあるけど、「何か」と一緒に結末まで、この主人公の辿る道を見届けたいと思わせる。

ホラーというジャンルを隠れ蓑にした、ヒーローたちの物語であり、ヒーローたちが放つ善の力、根底にある愛を感じることこそが、本書の魅力なのかなと感じた。