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Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】現実と妄想を繋ぎ止める魚たち『グールド魚類画帖』

 

 

 

グールド魚類画帖

グールド魚類画帖

 

 

 

 

表紙からして奇妙な一冊。

かの有名な、『私の知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』さんで『スゴ本』として紹介されているのを見てから、ずっと読みたいと思っていた。
前評判通り、とにかくすごかった。
 
わかりやすい本筋となるストーリーはなくて、殺人容疑でタスマニア島へ流刑になった男が、潮の満ち引きに晒される海辺の岩場に作られた檻の中で綴る手記。
 
表紙にはタツノオトシゴの絵が描かれているが、この絵を含め12の魚の絵がカラーで収録されている。
それらはすべてこの手記の書き手である囚人ウィリアム・ビューロウ・グールドが描いた絵でもある。グールドという囚人は19世紀に実在した人物で、彼の描いた魚の絵は実際にタスマニアの美術館に展示されているらしい。実在の人物の魚の絵をもとに、タスマニア出身の作者が獄中記という形で作り上げたこの本。
実在の人物と、実際の絵と、フィクションの掛け合わせ。
作中では、19世紀に獄中で書かれた手記を、現代になって本書の作者が偶然発見したという形で話は進む。
 
語り手であるグールドは、獄中で書くことを禁止されながらも、自分の肘のかさぶたをはがしてにじみ出た血であったり、たまたま檻の中に入ってきたイカを仕留めて得られたイカ墨なんかをインク代わりにひたすら白昼夢のような経験を手記として綴る。
原書では血で書いているところはフォントが赤になり、イカ墨の章はセピア色になったりととても凝った演出がされているらしいが、日本語版は残念ながら手記部分と、この手記を現代になって発見した男が語る部分でそれぞれフォントの色を変えてあるだけ。ちょっと残念だが、それでも十分手記部分の奇妙さは感じられる。
各章の頭にはカラーの魚の絵があり、これがより本書の手記としての奇妙さを引き立たせる。水彩画で描かれた魚の絵は、妙にリアルでグロテスクな感覚を受け、手記の内容の奇妙さとマッチして、一冊の本としての不気味さをより強調してくる。
 
手記の内容から、わざと回りくどかったりしつこかったりする表現が繰り返されたり、現実と妄想の区別のないような部分もあったりで、グールドはすでに正気ではないと感じる。が、たまにすべてを見透かしたような達観した視点で鋭い描写をかましてくる部分もあるので、読んでいるこっちまで調子が狂ってくる。
 
グールドの気持ちにシンクロはできないが、グールドが見ている世界に包まれる感覚。いや、読み手も潮の満ちる檻の中へ引きずり込まれる感覚か。
何故か文章はスラスラと読み手の頭に入ってくるが、どこまでが本筋でどこまでが妄想でどこまでが恨み節なのかわからない。ドストエフスキー『地下室の手記』のような虐げられた者の独白でもあり、ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』のような奇書でもある。面白いという感覚とよくわからない、わかりたくないという感覚がないまぜになるが、この現実と悪夢の境目がわからなくなるのが心地よくなり、ずっと物語の中に入っていたくなる。
 
ただの奇書として済むものではなく、表紙や収録された絵を含めて一冊の本として完成する物語。どっぷり浸かって楽しませてもらった。