Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】なぜ僕たちは愚策に投票するのか『選挙の経済学』

参院選について書いたブログ記事などが結構あって、いろんな意見があるなあと思いながら読み漁っている。

 

で、特に気になるのが、「こんな候補者に投票したやつは誰だよ!!」みたいな怒りの意見。

なんでこんなやつが当選してるんだ、投票してるやつはどんだけバカなんだ、そんな意見をよく見る。

 

今回の選挙の前に、丁度この本を読んでいた。

 

選挙の経済学

選挙の経済学

 

 

選挙と経済学。政治ではなくて経済のお話なので、選挙という仕組み自体を経済学から細かく分析してみようということ。
で、気になるのが小さくサブタイトルになっている『投票者はなぜ愚策を選ぶのか』

 

なんで我々は自分たちの投票で政治家を選ぶ権利を持っているのに、おかしな結果、納得のいかない結果、愚かな投票をしてしまうのか。

それが、本書を読むことで少なからず見えてくる部分があった。

 

まず、ここに一つの選挙区があるとする。
で、そこの住民たちは100%『愚民』のみで満たされているとする。


全員愚民なので、選挙の際も政策などを気にせずに投票するため、完全に投票はランダムに行われる。
例えばAとBという候補者が2人立候補している場合は、Aの候補者に50%、Bにも同様に50%の投票が行われることになる。当選は運頼みってことだ。

 

しかし、この選挙区に1%の有識者、しっかりと政策を吟味した上で投票することができる人たちがいたとすると、話は完全に変わってくる。

残り99%の愚民たちは相変わらずランダムに投票するためにAに49.5%、Bに49.5%投票する。

 

で、残りの1%の票は、有識者が政策を吟味したうえで投票する。すると、必ず有識者の支持を得た政策を採用しているほうが当選する。
この結果は有識者のパーセンテージがどれだけ大きくなろうが変わらない。100%の有識者によって構成された選挙区でも同じ結果が起こる。


得票数には雲泥の差が出るだろうけど、有識者に指示された方が当選し、もう片方は落選という結果は変わらない。
つまり、選挙区内にいる愚民の比率に関係なく、純粋に賢い選択をしたのと同じような結果が選挙では得ることができる。


これを『集計の奇跡』という。

 

ということは、政策を打つ側、候補者の側はその選挙区内に存在する有識者を対象にした政策を打てばいい。有権者が30万人いる選挙区でもその中にいる有識者が100人しかいないなら、その100人を対象にした政策を考えるのが最重要になってくる。

 

で、愚民と識者がどんな割合で混在していても集計の奇跡によって賢い選択と同じ結果が得られるはずなのに、なぜ愚民も有識者も政治に対して不満を抱くのか。自分たちの投票の結果、民意はしっかりと反映されたはずなのに。


それはつまり、愚策をもった候補者や政党が選挙で当選しているということ。なんでだろう?集計の奇跡は起こっていないってこと?

 

なぜなら、有権者たちにはさまざまな『バイアス』がかかるから。


『バイアス』ってのは偏り、偏見のこと。
普通、人間が社会の中で行動する際には自分自身に利益が出るように行動する。
例えば、商売をやっている人が儲けるためには、利益が最大になるように努力するのが当たり前。


しかし、それが選挙となると、自分自身の利益に繋がるような政策に投票しても、それが直接結果に結びつく可能性はとても低くなる。自分に与えられた権利は何十万分の一票なので、結果に直接反映されるわけではない。なので投票に対してそれほど慎重になる必要がなくなる。場合によっては非合理的な選択すらしてしまう。

 

こういった非合理的なバイアスのもとで行動できてしまうため、選挙においては自分のことなんか考えない有権者たちによっておかしな結果が出ることがある。つまり、集計の奇跡は起こらなくなるということ。


愚民たちはランダムに投票するわけではなく、バイアスのかかった奇妙な偏りを持って投票するため、有識者たちの結果が直接反省されることなく自分自身にも他人にも利益にならないような愚策を持った候補者や政党が当選することになる。

 

だからこそ、『元芸能人』とか『元スポーツ選手』とか、テレビで見たことある『知っている人』に対してかかるバイアスや、ニュースでネガティブな報道された候補者に対しての政策・実績に関係ないバイアスがかかったりして、残念な選挙結果を受け取ることになる。

 

逆に言えば、そういった愚民の意思をコントロールする術、愚民に対してバイアスをかける能力があれば、選挙の結果をある程度コントロールすることができるのも事実であるのだ。

 

自分は愚民にはならない、きっちり政策を吟味してから投票しよう!と思うのは誰だってできるが、それも結局は何十万分の一という事実に変わりはない。
なので、愚民にならないように努力することこそが無価値に等しくなり、メディア等に影響受けまくる愚民でいることをよしとしてしまう人がほとんどになるのだ。

 

どんな結果に転ぼうが言えることはたった一つ。「我々は愚民だ!」なのかな、なんて思い知らされる一冊だった。いや、面白かったんだけど。