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Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【漫画】これは決して悲惨な物語ではない『鬱ごはん』by 施川ユウキ

 

鬱ごはん   2 (ヤングチャンピオン烈コミックス)

鬱ごはん 2 (ヤングチャンピオン烈コミックス)

 

 

大学卒業後、新卒での就職機会を逃し就職浪人を続けている主人公「鬱野たけし」が、日々の食事を通して孤独で鬱々とした生活や思考を見せてくれる漫画。


メインテーマは「食」なんだが、グルメ要素は皆無で、むしろ食欲をわかせるような要素は一切ない。

 

食事というものは、基本ポジティブであるべきことだ。
家族そろっての夕食、職場の同僚とのランチ、気の合う仲間との飲み会。会話を弾ませ、美味しい料理で空腹を満たす。だが本書は、そういった描写は一切なく、ほとんど主人公である鬱野がひとりで過ごし、食べている料理だったり状況だったりに対して思考を巡らせてばかりの、かなり異質な食漫画といえる。

 

だが、これがとても面白い。1巻にどハマりして、2巻が出るのを心待ちにしていた。1巻が出てから約3年。漫画内の年月も現実にリンクして進み、主人公の鬱野自身も20代後半になっている。

 

就職浪人中で、人付き合いがあまり得意ではなく、かつ世間体や他人の目線を必要以上に気にしてしまう自意識過剰な男が、ひとりで自嘲的な思考を巡らせる。
ふと思い出したのは、ジョジョ4部の「吉良吉影は静かに暮らしたい」だった。ちょっと指向は違うが、どちらも「縛られない自由さ」に重きを置いている点は一致する。

 

寂しくはない。だが、だからと言って誰かといることが嫌なわけでもない。たまに気の合う人と食事するのは好きだが、そのために定期的に誰かと連絡を取るのは億劫だし、断られたり逆にこっちが誘われて断るのも面倒。そんな煩わしい思いをするくらいならひとりが楽だから、別に無理しようとも思わない。

 

この鬱野の現状、僕にとっては共感出来る部分がたくさんある。
自分はもう、結婚をして子供もいて家も建てて仕事にも特に不満はなくて一応飲みに行く友達なんかもいる。そんな僕が鬱ごはんの主人公の何がわかるんだよ、と言いたくなるかもしれないが、身をもって感じるのは就職浪人で孤独にふらふらする主人公と僕との差は紙一重程度のものだということだ。

僕自身、25歳の頃はフリーターとして全く将来の見えない状態でいた。大学卒業後2年間勤めたブラック企業を辞めて、仕事というものへの意欲を失っていた。学歴もない、スキルもない、コネもない、そしてバイタリティもない状態。自分が本気で取り組んでみたいと思う仕事もなく、ただ漫然とバイト先と自宅を行き来していた。

 

今の仕事に就くことができたのは「たまたま運が良かったから」というのは強く自覚している。そのうえで、たまたま共働きでバリバリ働いてくれる妻と結婚し、そのうえで子供が生まれる、そして今のところ僕が住んでいるような田舎では比較的普通の選択肢として家を建てる、という現状に落ち着くことができただけ。
当たり前だがそれまでの自分の人生の中で占めていた自由や娯楽を犠牲にしないと辿りつけないところであって、それはただ自分がもう「いい大人だから」という理由が大きい。いい大人なんだから、いい加減家庭を持って、その家庭のために働こうという価値観が僕の中で優先できる環境が「たまたま整ってくれた」からだ。

 

もしもあの時、今の仕事に就けていなかったら、おそらく今の生活はほとんど実現していないだろう。鬱野のように、20代の大半を就職浪人として確たる目標もなく過ごしていたかもしれない。

 

だからと言って、それが悲惨だとは全く思えなくて、それはそれで心地いい時間の使い方だろうとも思える。今こうして仕事、家事、育児に人生の大半を費やし、身を粉にするようにして働いているのは正直自分でも「無理してる」と感じざるを得ない。嫌とか後悔とかじゃなくて、大学生から20代前半にかけての時間がたっぷりあって、制限の中でもある程度は自由に欲しいものを手に入れたり遊んだりするお金があったころを懐かしく思い、今の自分は家族のために頑張っているなと自己を社会的に正当化させている感覚が強い。

 

鬱野のようになりたいか、と問われれば今は問答無用でNOと答えるが、鬱野は全く悲惨ではなく、むしろ彼自身の性格上は現状こそ理想的な自由を謳歌しているといっても過言ではないと思う。

 

明るく派手な大学生や若者のような気質は嫌厭し、子供の頃には持ち合わせていなかった社会に対する視点やこだわりを持ち、現状の自由をある程度は好きに生きられる。仕事、人間関係、家庭、そんなものたちに縛り付けられるくらいなら、自由気ままに暮らせる現状を維持したいというモラトリアム気質を、鬱野をとおして僕たちに追体験させてくれる。

 

僕にとっては鬱野こそが「自由な若者」のイメージに近く、自分では経験できなかったもう一つの人生を経験しているように感じられる。

言わば大人になった自分が、大人になりたての若かりし頃にあり得た自分を見るというノスタルジー感覚こそが、僕が本書を面白いと感じる最大の理由なのかもしれない。