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Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】『死すべき定めーー死にゆく人に何ができるか』

 

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

 

 

よく忘れることなんだが、人間は、いずれ必ず死ぬ。

それは遅いか早いかの違いだけだ。僕だって当然死ぬ。ただ、今じゃないとは思っている。できれば子供たちの成長を見届けて、孫も生まれて家族に囲まれる幸せを感じながら死にたい。
だが、今の世の中の「死」の現状は、こんな甘い幻想を持って死ぬことを許してくれていない。

 

事故死などの死に方でなく、老人になって充分寿命をまっとうした後なら誰だって「家で死にたい」「家族に看取られたい」と思うことだろう。しかし、年齢を重ねて体の自由が利かなくなり、自分の身の回りのことができなくなったり、場合によっては寝たきりになってしまった場合、現在はほとんどの場合施設に入って買い越しに面倒を見てもらうしかない状況になってきている。息子夫婦に面倒を見てもらう、なんていうのはもはや昔の幻想だ。

 

施設での生活は、医学的見地に基づく安全な生活こそが第一であり、好きな食べ物を食べたり、自由に趣味を謳歌することは難しくなる。人生の最後くらい自由にしたい、という気持ちがあったとしても、入所者本人にそんなことをする自由は与えられない。
これは、こういった施設自体の方針もあるだろうが、終末期を迎えた人を施設に入所させる家族にも絡む問題である。終末期を迎えた人が「最後の自由」を求めても、その家族は自由よりも安心、安全を求めようとする。すると、ただ健康に気を配った食事と投薬を繰り返される面白味のない生活を強いられ、自由のない施設の中で緩やかに死を待つことになる。

 

こうした介護施設やナーシングホームでの現状を変えるべく、入所者に自由を与えられる環境づくりや、施設でイヌ、ネコ、インコなどの動物を飼うなどの試みを行った事例なども紹介されている。いずれの方法も、入所者の健康状態や認知能力、満足度などに良い影響を与えることがわかった。こういったレポートからも、終末期を迎えた人にとって、施設で死を待つのみという最期は望ましいものとは言えないだろうということが見て取れる。

 

結局、一般的な介護施設やナーシングホームの運営は、すでに「こういうもの」という基礎が出来上がっているものなので、それについて入所手続きをする家族が疑問をさしはさむこと自体があまりない。当然、運営側もそれが当たり前の世界なので、入所者本人が希望を失って終末期を過ごしていたとしてもそれを問題視すること自体が普通でないことなのだ。

 

本書の後半では、進行性のがんなどに侵されたことにより余命がわずかになってしまった人たちの、治療と緩和ケアの狭間での苦悩も紹介されている。寿命とは違い、がんなどの致命的な病は突如として降りかかってくるものだ。だからこそ、苦しい治療でも続ければ延命できるかもしれない、できることがもったるかもしれないという希望は、患者も家族も医師をも苦しめる。末期がんと診断されてからの余命が、過去のデータによると平均1年だとしても、治療により10年生きながらえる人もいれば、ただ苦しさを増しただけの場合もある。どうなるかは誰にもわからないので、より判断は難しくなる。最終的な判断は患者本人と家族に委ねられるからこそ、医療は出来る限り患者や家族の希望に沿った治療を行える環境を整えなければならない。

 

本書の最後には、著者であるガワンデの父親の病との戦いも載っている。父の死を通して、著者自身も死すべき定めに向き合うことになる。父自身も医師であることから、自らの余命に向き合って最期の日々を望むべく形で過ごした。
著者が見てきたもの、そして身近な人を通して、死すべき定めとの向き合い方へのヒントを記してくれた本書。自分自身に置き換えて、死すべき定めの迎え入れ方に準備をしておくためにも、ぜひ読んでほしい一冊。