Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】やさしいごはん『一汁一菜でよいという提案』

 

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

 

とても優しさが溢れた本。タイトルからは想像できなかったが、本書は日々の忙しさに浮き足立っていた僕に、家族の温かさと大切さを再認識させてくれた。

 

今現在、平日の晩御飯はだいたい僕が作っている。
仕事を終えて18時くらいに帰宅。ママは0歳の次男を寝室で寝かしつけしているので、長男と娘の相手を適度にしながら食事の準備を始める。作るのは、主菜になる肉や魚料理、副菜として卵焼きや煮物やサラダなどをだいたい2品、それから味噌汁。出来るだけ調理時間を短縮するために、冷凍の煮魚やコロッケなんかを利用して、だいたい30分くらいで仕上げられるようにしている。18:45くらいに子どもたちと一緒に「いただきます」を言うのが理想だ。

 

ただ、これって結構ハードなタスク処理になる。冷凍のサバの味噌煮を湯煎で温めつつ、味噌汁の具材を切り、副菜としてきんぴらを炒める。いつも3つくらいの作業を同時進行でやり、さらにその間勝手に遊んでいる子どもたちが喧嘩なんか始めたら仲裁に入らなければならない。ごはんが出来上がった時にはクタクタだ。正直仕事より疲れたりする。

 

そんなふうにご飯の準備だけで疲れてしまうので、料理中や食事中についイライラして子どもたちを大きな声で叱ってしまうことがある。家族そろっての食事とは、元来楽しく幸せであるものだとイメージしていたんだが、自分の現状を顧みてみると「毎日の食事が幸せだ」と胸を張って言うことはできなかったかもしれない。

 

白米と味噌汁、そして主菜と、副菜がだいたい2品くらいあるのが「理想の食事」だと思っていたけど、僕はいったい何を根拠にそれが「理想の食事」だと思っていたんだろうと気付かされた。所謂「一汁三菜」をよく耳にするようになってから、理想の食事とは肉や野菜のバランスがよく、なおかつ品数が多いほうがよいものだと勝手に思い込んでいたようだ。

 

本書における「一汁一菜」とは、「ごはん、味噌汁、香の物」の3つのことだ。これを基本とし、場合によっては香の物を省いて「ごはん+味噌汁」さえあればいいとしている。
だが、「わざわざ一汁三菜作らないで、一汁一菜だけで充分だから!」と押しつけがましく言い切っているわけではない。
ごはんと具だくさんの味噌汁、香の物があれば、栄養価は充分足りる。何よりこの3つは、毎日食べても飽きない日本の食事の基本となるものだ。この基本さえあれば家での食事は充分なものになるが、おかずを作る余裕があるなら、味噌汁の具を少し減らしてもう一品作ればいい。逆に言えば、時間がないときは味噌汁に具として肉や魚を入れて、具だくさんで栄養たっぷりな味噌汁を作れば充分おかずになるんだよ、ということでもある。

 

本書には実際に土井さんが普段の食事で食べている「一汁一菜」の写真がたくさん載っている。ベーコンや、卵、ブロッコリー、トマトなど、おかずとして使いたいものでも、なんでも美味しい味噌汁にできることがよくわかる。具だくさんな味噌汁の写真がすべて美味しそうなのだ。そういう味噌汁と、ごはんが並んだ写真は”みすぼらしさ”なんかまるでなくて、美味しそうな食事として成立していることがよくわかる。

 

子どもたちへ愛情を示すのに、たくさんの料理を作る必要なんてない。思い返せば、長男も娘も「白いご飯にふりかけ」が大好きだ。そこに美味しい味噌汁があれば、きっと不満なんて言ってこない。魚が食べたい、肉が食べたいというなら、その時に付け加えればいいのだ。

 

「理想」に近付こうとして、子どもたちも、そして自分自身も振り回されていたことを思い知り、もっと肩の力を抜いていこうと思わせてくれる、とても優しさに溢れた一冊だった。