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【書評】人間の高潔さと残酷さ『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』

 

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件

 

 

嗚咽をこらえられず、何度も中断せざるを得なかったが、ようやく読み終えた。

 

本書は、「名古屋闇サイト殺人事件」と呼ばれる、ネット上で知り合った見ず知らずの男たちが当時31歳だった被害女性を、行き当たりばったりに連れ去り金品強盗をしたうえでとても残忍なやり方で殺害、死体遺棄した事件について書かれたノンフィクションだ。

 

冒頭、事件の顛末がほんの数十ページだけで書かれる。その部分だけでも、いかに卑劣な犯罪であったかが描かれ、なぜこの男たちがこんなにも残忍な事件を起こしたのか、闇サイトで知り合った赤の他人たちがこんなひどい事件を起こせるものなのか、そして特に強調されている「被害女性は最後まで生きることをあきらめずに戦った」という事実についての疑問が湧き上がる。

 

冒頭の後は、被害者となった磯谷利恵さんの人生について詳細まで書かれていく。生まれてすぐに父を病気で亡くし、母と子2人っきりで生きてきた被害者。
母子家庭という環境でも、母は必死に働き家計を支える大黒柱として、つまり父親役を引き受け、母親役には幼少期は祖母が、祖母が母の兄の家に越してからは、利恵さん自身が子と母の役割を兼務したような形で、途中いくつかの挫折こそあれ、ごくごく普通のまじめに働く女性として成長していく。

 

特に印象的なエピソードがひとつある。高校で担任と保護者が面談した際のこと。担任の教師が「どうやったら、あんなすばらしい娘さんに育つんですか?」と母に尋ねる。それを聞いて、初めて母は亡くなった夫に胸を張って「利恵は立派に育ちました」と心の中で報告した。

 

ただ、本書の半分以上は磯谷利恵さんの生い立ちについて事細かに書かれている。残忍な殺人事件のノンフィクションであるにもかかわらず、なぜこんなに被害者の人生について細かく描写されているのか…と不思議に思いながら、しかし読み物として面白いので引き込まれるように読んでしまった。
が、そんな本書も、後半でなぜ磯谷利恵さんの人生について細かく描写したかの意味がはっきりしてくる。

 

後半は、闇サイトで知り合った男たちが、街中のファミレスで集合してから様々な犯罪計画を練っていく様子が描かれる。これが正直、常軌を逸しているというか、同じ人間が行動しているとは思えないようなことばかりが起こる。まず、集合して最初に話し合うことが「知り合いのパチンコ屋の社長が金を持っているから襲撃しよう」「狙いやすそうな事務所があるからそこに侵入して売上金を奪おう」「女性をさらって金品を奪おう」といった、本当に大の大人が数人集まって話すかと思うようなことばかり。こんな犯罪のやりかたばかりをファミレスや路上や車の中などでこともなげに相談し続けるのだ。


間違いなく、ほぼすべてが思い付き。そんな思い付きの犯罪計画を「自分ならこうする」「自分は以前こんな犯罪もした」といった会話を交えて話し合う。犯行を起こした3人それぞれに、「自分は散々悪いことをしてきたから、この程度の犯罪何ともないと思っている」といった見栄というか虚勢があり、自分の立場を上に見せようという魂胆が見える。

 

犯人たちは利恵さんを殺害する前も様々な犯罪を画策し、そしてほぼすべて失敗している。ほとんどが無計画すぎて、自分たちで失敗に対する焦りを募らせ、犯人たちの後戻り不可な暴走へと変わっていく。そんな状態で、たまたま人通りの少ない路上を歩いていた利恵さんを拉致し、残忍な犯行へと繋がってしまった。

 

犯行のシーンは見るに堪えない。コンクリートを割るようなハンマーで30回も頭を殴られ、それでも死なず最終的には顔を覆ったビニール袋で窒息して亡くなり、最期は山間部のガードレール下に無残に遺棄される。


このような凄惨な殺され方をしたにもかかわらず、利恵さんは最後まで犯人たちに抵抗し、母のために貯めた預金を渡すことも拒んだ。最後の最後、犯人たちに口座の暗証番号を伝えるが、それが持つ意味を知った時には呆然としてしまった。こんなに最後まで毅然と、自分の信念を貫いて生きるために精一杯だった利恵さんの強さに、涙が止まらなくなった。

 

犯行後、犯人のうちのひとり自首したことにより犯行が明るみになり、ほか2名の逮捕、そして事件が母に伝わる様子なども詳しく書かれるが、その気持ちを推し量ることはできない。利恵さんには殺されるほんの数か月前から付き合い始めた恋人もいた。幸せそのものだったときに起きた凶行に、何故犯人たちはこんなに残酷になれたのか、我が子を殺される推し量れない悲しさ、そしてなぜ最後まで利恵さんは信念を貫けたのかと、とにかくさまざまな気持ちが沸き起こる。答えはないが、本書にはそれらが実際起きてしまった事実だということを詳細まで書ききっている。

 

巻末には、著者が本書を書くべきか迷った、そして書いた後も後悔するきもちがあったという葛藤が綴られている。が、それでも本書を作ったのは、やはり磯谷利恵さんという人の人生は残されるべきもの、我々が忘れてはならないものにほかならないからだと思う。