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【書評】文明を築いた3つの革命『サピエンス全史』

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 

今更読んだら、めちゃくちゃ面白かった。読みやすくて知見も広がる。売れまくったのも納得。

 

「ホモ・サピエンス」とは、「賢い人」という意味だそうだ。
「人類」と呼ばれる種の中で、現在生き残っているのは我々ホモ・サピエンスだけであり、大昔に存在していたネアンデルタール人やホモ・エレクトゥスたちは我々のような文明を築くことができずに絶滅してしまった。本書ではなぜ、ホモ・サピエンスのみが生き残り、今日の文明を築くに至ったかを人類誕生の歴史から紐解いていく。

 

よく、大まかに「道具を使うようになった」「火を用いるようになった」「農業を始めた」といった、わかりやすい変化により人類の進歩を用いて説明することがあるが、本書においては違う。
著者は、人類にとって大きな変化となったポイントを、大きく3つあったとしている。それは、「認知革命」「農業革命」「科学革命」の3つだ。


「認知革命」とは、文字通り認知力の向上であり、言語を持って人類間で意思疎通を自由に行うことができたことをさす。が、さらに人類はこの認知革命によりもう一歩上へステップを踏んだ。それは、「神」や「宗教」といった「虚構」を生み出したことだ。


例えば僕は、日本に住み社会人として会社に勤務し、労働の対価として月給を貰っている。これらはすべて虚構だ。日本という国も、僕が勤めている会社も、そして毎月貰っている給料も、すべて社会が作り出した秩序であり、我々が理性によりそのルールにのっとって生活しているにすぎない。

動物のように自分が生きていくためだけに生活するなら、国家や企業や貨幣などは無視して、ただ魚を取るなり、食用植物を収穫し、飢えないようにすれば生きていくことはできる。


だがこれでは、社会を成立させることはできない。自分一人や、小さな家族程度の人数なら問題ないだろうが、それ以上の集団の維持は難しい。せいぜい「群れ」としての集合体は「目に見える範囲」に留まってしまうだろう。典型的なチンパンジーの群れが50匹程度であるのはこれが理由であり、人類は「国家」や「企業」といった「虚構」によって、より多くの人類同士で協調することができるようになった。虚構の力は多くの人類を統率し、古代においてもピラミッド建築といった偉業を成し遂げることができた。


そして、「農業革命」により、人類はさらにその数を増やすこととなる。1万年ほど前に、農作物の栽培と動物の家畜化が始まり、それまで狩猟生活では移動しながら生活をしていた人類が、定住生活を送るようになった。ただし、初期の農耕生活は人類にとって成功だったとは言い難く、狩猟民に比べ農耕民は栄養状態が悪く骨格なども貧弱だったという研究結果がある。

これは、単一の作物等に頼ることにより飢饉や栄養の偏りといったリスクを抱えた結果だ。だが、農耕での定住によりより多くの人類が集団で生活する都市の発展と、移動という負荷がなくなったことにより子育てにリソースを裂くことができるようになったため爆発的な人口の増加を促すこととなり、「国家」「宗教」「言語」といった秩序と文化がより大きく成長していくこととなる。


最後に、つい500年ほど前に発生した「科学革命」だ。それまで世界は「宗教」や「神話」といった壮大な虚構により社会を構成していた。神がすべてを作り出し、聖人や預言者たちはその神の言葉を代弁する絶対的な存在だった。天動説と地動説、天地創造と進化論が当時の社会を揺るがしたのは、「神話」や「宗教」といったそれまで社会のバックボーンとなっていたものが覆され、「神がすべてを作り出した」から「我々はこの世界を解明しなければならない」へと180°転換することとなる。

「この世界を解明する」は、急速に科学の発展を促し、それは近年でも目覚ましく進化し続けている。


科学の探求は、今日の社会基盤である資本主義との相性がよく「科学の進歩により将来的に豊かになる」ことを信じることにより、科学への投資と経済発展が豊かな社会を作り上げることを実現した。

 

こうして見ていくと、人類の歴史はいいことづくめのような気がするが、果たして本当に我々人類は「幸福なのだろうか」ということにまで本書は掘り下げる。そもそも人類は多くの生物を絶滅に追いやり、その中にはホモ・サピエンスと同じ人類種であるネアンデルタール人やホモ・エレクトゥスなども含まれている。地球環境を汚染し、生活環境を自ら悪化させてもいる。科学や物質の豊かさが、人類の幸福度を上げているという証拠もない。

 

ラストでは、著者が示すホモ・サピエンスの未来像が描かれる。それはとても想像できないようなことなのだが、本書をとおしてホモ・サピエンスの歴史を俯瞰すれば、確かにありえる未来なのかもしれない。ただし、その未来を決めるのも、我々ホモ・サピエンス自身であるということも、本書は示してくれている。