Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】『その家事、いらない。』共働き、子ども3人の我が家は、もちろん家事を削ってきました

 

その家事、いらない。

その家事、いらない。

 

 

「その通り!」と感じることばかりだった。
 
我が家は夫婦共働きで、子ども3人の5人家族。先日6歳になったばかりの長男(来年ようやく小学生)、3歳の長女と1歳の次男。全員未就学児で、長男はまだある程度「自分のことを自分で」できるようになってきたが、下2人はパパママがいないとほぼ何もできない。食事だってかなりの手助けが必要だ。


仕事を定時で終わらせても、子どもたちを保育園にお迎えに行って、それから家に着くのは18時過ぎ。
 
そこから晩御飯を作り、食事をこぼしまくる下2人の手助けをしながらなんとか食事を終え、それから3人抱えて風呂に入る。風呂場内ではおもちゃやシャワー近くのポジションの奪い合いで毎日喧嘩を勃発させ、そこを何とかうまいこと切り抜けて風呂を出て、パジャマを着せるとすでに20時をまわっている。帰宅してからいつの間にか2時間がぶっ飛んでいる。キング・クリムゾンかよ。自分としてはスタープラチナなみの速度で動いているつもりなんだが、時間はあっという間に過ぎてしまう。ザ・ワールドがほしい。
 
18時に帰宅して、21時までには子どもたちを寝室へ。自分たちもそのあと家事を片付けて、23時までには寝室に行きたい。つまり帰ってから残されている時間は5時間だけだ。限られたリソースのなかでやりくりするには、不必要なものを削るしかない。
 
良い親で、良い夫で、良い妻で、良い家庭環境でありたいと思うあまりに、身の丈に合わないような生活をしていてはいつか疲れ切ってしまう。大切なのは毎日の『最低限』を決めて、それをルーティーンとしてロボットのように淡々とこなすことだ、と子どもが3人になったあたりで僕も気付いた。毎食の一汁三菜、日々の掃除、整理整頓、しっかりした家計簿、将来への投資…
理想を言えばいくらでも言える。でも、できないから、削るしかない。
 
というわけで、僕の毎日のパターンは、現在以下のようになった。
 
・一汁三菜にこだわらない。できるだけバランスは考慮するが、子どもたちは保育園でバランス良い食事はとっているはずなので、夜ご飯は遅くならないように「18:30までに作れるもの」などの時間をリミットとして決めて作る。冷凍の煮魚+生野菜切っただけのサラダ+味噌汁、とかね。
 
・食器洗いは、とにかく食後すぐに食洗器にぶち込んで稼働させる。家族5人分の食器+弁当箱や水筒等があるので、どうせ1回じゃ洗いきれない。だから、とにかく何も考えずに食洗器に入る分を入れて稼働、残りはそのまま放置して、終わったら次の分を入れて稼働を繰り返す。
 
・洗濯も、ドラム式に放り込んで乾燥までやって終わり。干さない。ニットとかのデリケートなものは週末にまとめて洗濯。一応洗濯後は畳むけど、まあシワにならなければいいのでテキトーで。
 
・掃除は基本的に土日。床の汚れが気になるならその時だけはサッとハンディ掃除機かける。あとは、「今度の土日は加湿器の掃除しよう」とかなんとなくタスクを決めとく。
 
特に、我が家では、というか僕のなかでは食洗器とドラム式洗濯機が最強という結論に至った。食器洗いと洗濯物を干すという行為が削られるだけでも、時間的にも精神的にも負荷がかなり軽減された。
これにロボット掃除機をプラスすると『共働き夫婦の家電三種の神器』みたいな言い方になるらしいが、まだ我が家では導入に至っていない。先日ハンディ掃除機買ったばかりなもので予算的な都合もあるし…あと、ロボットだと2階や階段の掃除ができないのが大きいな。
 
「やらないと気持ち悪いこと」も人それぞれあるとは思う。食事をきちんと用意しないと気持ち悪い、毎日掃除機かけないと気持ち悪い、という人は僕の身の回りにもいる。
特に掃除なんかは夫婦で衛生観念が違うとかなりストレスにもなる。僕は「揚げ物などをした後に残る油はね」をキレイに拭き取らないと気が済まないのだが、妻はキッチンに油や調味料はねた跡が残っていてもあまり気にならないらしい。なので、妻が夕食を作った後のキッチンをキレイにするのは完全に僕の役割だ。僕が残業で夕食も済ませてきて、家で何も食べない、キッチンを使っていない日でも、汚いままだとストレスになるのでIHの周囲とかをキレイにするのは僕だ。
 
なんか愚痴っぽくなってしまったが、いずれにせよ削る、後回しにする等の方法で家事の負担を減らすのは重要。というか家庭を持って、子どもができて、数年たって、となるとそんなことは当たり前のことなのかなとは思う。だから僕から言いたいことは、毎日の家事を面倒だ、億劫だと感じずにロボットのようにただこなす、こなせるようになることが重要なんじゃないかということだ。