Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】知るとつらくなる、とても身近な問題『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたとる』

 

超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる

超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる

 

 

特殊清掃という仕事の現場レポートを通じて、社会問題である孤独死について焦点を当てる本書。
内容はかなりヘビーで、読み進めるのがかなり苦しかった。

「特殊清掃」とは、簡単に言えば「汚染された部屋の原状回復をする」仕事だ。
ゴミ屋敷などに代表される「モノで汚染された部屋」だけでなく、孤独死による「遺体で汚染された部屋」の清掃も手がけるのが特殊清掃業者である。

ひとり暮らしの人が自宅などで死亡後、遺体発見が遅れれば腐敗が進むことになる。
すると、腐敗により遺体からの体液や腐臭の拡散、さらにはハエやウジなどの虫害が発生し、部屋の内部だけでなく周囲にまで汚染が進むことがある。

遺体は警察が運び出すが、部屋に残された汚染箇所の清掃、そして遺品整理まで行うのが特殊清掃となる。
この「遺体からの体液の清掃」と「発生したウジなどの虫の駆除」シーンがかなりキツイ。
真夏の特殊清掃でも、周囲に悪臭を拡散させないために窓を開けたり空調を作動させたりといったことができず、締め切った室内で暑さと悪臭に耐えながら作業する必要がある。
アンモニアなどの刺激臭により、特殊なマスク越しにでも匂いは透過し、さらには目にも刺激が来るという。作業後も体についた悪臭が取れず、臭いが鼻についたままの状態になることもある。

かなり過酷な状況のうえ、掃除するのは「人間の遺体からの汚れ」だ。肉体的にも精神的にもタフさが要求される。

読んでいても、その壮絶な現場と、一人の人間の最期がこれか…という心苦しさと、自分だってこういう最期を迎えない保証はないという危うさが入り混じり、ページをめくる手が重くなった。

このようなタフな仕事をこなす特殊清掃業者には、フランチャイズ化された大きな業者もあれば、単独で長期間かけて現場を清掃する個人事業者もおり、その体制は様々だ。

本書の取材が行われたのは2018年の夏のこと。昨年はとんでもない酷暑で、エアコンもない部屋で熱中症によって亡くなり、数日後腐臭により孤独死発覚というケースが多数あったようだ。

本書で最初に扱うのも、そんな2018年の8月に孤独死となり、遺体の腐敗後に発見された現場の清掃である。

孤独死を迎えた人は、総じてゴミ屋敷に住んでいることが多い。ただのゴミではなく、自分の排泄物をため込んだペットボトルや紙おむつなどに部屋を埋め尽くされた中で孤独死し、そのまま何もかもが腐敗しているような、壮絶な状況も少なくない。

適切な掃除をせず、トイレが使用不能になったため汚物を溜め込み、自身の健康状態にも気を配らなくなる。そんな、自分の健康状態が悪化しても改善しようとしない状況を「セルフネグレクト」と言う。多くの人がセルフネグレクトによりゴミ屋敷や健康悪化を引き起こし、孤独死に至る。

セルフネグレクトは、「緩やかな自殺」と呼ばれている。裏を返せば、セルフネグレクトから助け出すことは孤独死を回避することにも繋がるということだ。清掃する「特殊清掃」と呼ばれる仕事の現場と、残された遺族への取材を通じ、著者は孤独死した人たちのセルフネグレクトに至る経緯を浮かび上がらせる。

取材対象となった孤独死を迎えた人たちは、みなそれぞれ生きづらさを抱えていたようだった。家族や他人や社会などとの関わりを拒絶することにより、セルフネグレクトへと至るケースが多いようだ。
著者はそういった状況から救われるために、企業や行政が行っている見守りや終活サービスについても本書で触れている。しかし、当人が助けを求める気がなかったり、本当に必要な人にはサービスが届かなかったりと、まだまだ課題は多い。

孤独死が「悪いこと」と言うわけではない。だた、死後の汚染により周囲に迷惑をかける、遺族に多額の特殊清掃費用を負担させる、遺族がいなければ行政負担となり、税金を投入せざるを得ないなど、孤独死は個人の感情だけでない社会的な問題である。

他者との関わりを拒絶する人に「孤独死は社会的な問題だから!」と無理矢理手を差し伸べるだけでは決して問題は解決しないだろう。

誰でも孤独死を迎える側に回る可能性がある今、その社会に適した救済措置を見つけて作り出す必要に迫られているのではないかと考えさせられる一冊だった。