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【書評】見えざる「生きづらさ」をどう解決するか『ケーキの切れない非行少年たち』

 

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

 

 

ちょっと前にTwitterでも話題になっていた本書。
インパクトのあるタイトルで、「ケーキの切れない非行少年」については本書の序盤に掲載されている。

円をケーキに見立てた紙を提示し、「線を引いて三等分してください」と指示すると、まず真ん中に線を引き、悩んだあげくT字型に線を入れたり、真ん中に引いた線と平行にもう一本線を引いてしまう、という、公平に三等分できていない図が掲載されている。

Twitterではこの部分までしか引用されておらず、これを見た人たちにより非行少年たちの「非常識さ」を非難するようなツイートが多数寄せられていた。
確かに、ここだけ見るとかなり驚いてしまう。常識が通じない、教養がない、もっと言えば善悪すらきちんと判別できないんじゃないだろうか?という疑問が湧く人もいるかもしれない。
しかし、本書はそういう「非行少年を非難する本」ではない。むしろそういった少年たちにどう向き合うべきか、どういう支援をすべきか、どういう社会保障を構築すべきかを提言する一冊なのだ。

非行少年がケーキをきれいに三等分できなかった理由は何だろうか。児童精神科医である著者は、少年院で多くの非行少年たちと接してきた結果、単に非常識だから、凶暴だからと切り捨てられない少年たちの現状に気付かされたという。
簡単な計算ができず、漢字も読み書きできない、日本地図を見せて、自分の住んでいる場所はどこ?と聞いてもわからない…という少年がたくさんいたという。もちろん幼稚園児に質問しているのではない。相手は大人とほぼ体格の変わらない高校生や中学生だ。

このような経験により、著者は非行少年たちが単に常識が欠如していたり無知だということではなく、勉強により学習していくという能力が欠如しているレベルの話だという結論に至る。

公的な知的障害の認定こそ受けていないため、一般の学校に通っていたが、学習能力が低く学校でいじめにあったり不登校になった経験のある非行少年はとても多いという。人付き合いが苦手で、対人関係で失敗を経験している少年も多くおり、そういった経験が非行の原因にもなっていた。
学校の勉強について行けない、馬鹿にされる、イジメにあう、不登校になる…小学生の頃の生活なんて、学校がほぼすべてだ。そこで過度のストレスを受ければ、世界への認識が歪むことだってあるだろう。
また、知的障害の認定は受けていないが、発達障害を抱えているがために後先を考えた行動ができない少年も多くいて、お金を盗んだり暴力をすることに対し論理的な思考ができず、犯罪を犯してしまうケースも多い。

こういった、わかりにくいハンデを抱えた非行少年たちに、自分の犯した罪について理解して、反省をさせることは難しいだろう。そもそも物事を理解するための認知機能が備わっていないため、通常のプログラムでは効果が見込めない。

繰り返し反省させれば形だけは示して、被害者への謝罪の気持ちも口にするかもしれないが、それは「何度も言われたからやる」だけのことで、本当の意味での反省はしていないし理解もしていない。何のために、誰のために少年院で更正プログラムをこなしているのかこれではわからない。

だからこそ、著者は非行少年たちに少年院での更正だけでなく、適切なプログラムにより社会性を身につけさせることの重要性を説いている。そして少年院だけの話ではなく、犯罪者になる前に軽度の知的障害を抱えている可能性のある子どもたちを救うための対策をするべきだとも。軽度の知的障害があったから、犯罪を犯しましたでは被害者は納得できるわけはない。全員が不幸なままだ。
そうならないために、軽度の知的障がある人や、学校でいじめられた、対人関係のトラブルがあって多大なストレスを抱えた人などが、犯罪に向かわないための福祉の形を作るべきだという著者の提言はとても重要だ。
が、しかし、だったらそれをどうやって実現するという問題もある。簡単な問題ではないのだから、いままで結びつくことが少なかった「少年犯罪」と「軽度知的障害」の関係を我々が学ぶことで、社会の認識が変わっていくことも重要ではないだろうか。