Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

読書を通じて人と語り合うことに挫折した若いころの記憶

先週これ(車輪の下でを想像する - Under the roof)を紹介したが、今回は読後の座談会。これも面白かったし、今後の本の読み方にもいい影響を与えてくれそうだった。

 

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特に印象強かったのが、「読者の側にも鬱屈を追体験させて感情を一致させている」というMCの言葉。ああそうか。僕が古典文学を面白いと思うのは、こういう要素の含まれる小説なんだ、と。

以前、知り合いと『若きウェルテルの悩み』について語り、今までにないほどガッカリしたことがあった。

 

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

 

 

僕がこの小説を初めて読んだのは学生の頃。バイト先の知人に勧められたのがきっかけだ。その人はこの小説が大好きで、素晴らしいと思う点をいくつも熱弁してくれた。読んだ僕も素晴らしいと率直に思ったし、この素晴らしさをもっとたくさんの人と共有したいと思った。ただ、当時学生だった僕の周りには、ほかに古典小説に興味をもって読もう、おススメされたやつを読んでみようなんてやつはおらず、僕に若きウェルテルの悩みを語る機会はやってこなかった。

時を経て僕は社会人となり、学生時代とは別の知人が増え始めたころ。有名大学卒業後、一流企業に就職した、僕なんかよりも社会的地位の高い知人と酒を飲む機会があった。その人は、普段から読書が好きで、その日もバッグから一冊の文庫本を取り出し、これおススメだから読んでみてください、ほかにはこんな小説やあんな小説もいいですよ、とおススメ小説を次から次へと僕に伝えてきた。
おそらく、僕の読書好きを知り、自分の好みの本を読んでほしいという純粋な気持からおススメしてくれたものと思われる。僕は素直に、面白そうだね、読んでみるよと答えた。
今度はこちらの番だと思い「僕、海外の古典が好きなんだよね。(本当はこの当時ハマっていたトーマス・マン魔の山』なんかをおススメしたかったが、いきなりそれじゃ引かれると思い)ゲーテの『若きウェルテルの悩み』とか読んだことある?」と、あくまで様子をうかがうような、いわばジャブを繰り出すようなつもりで話してみた。食いつきがよければ、古典でもっと話を膨らますし、そうでもなければ現代小説に話をシフトしようと考えてだ。

すると、彼の反応は「ああ、ちょろっと読みましたけど、なんかウジウジした手紙が続いて結局何がしたいんだよこいつは、ってなって、途中で読むの辞めちゃいました。結局あれって何なんですか?てか、何が面白いんですか?」的なニュアンスのことを言われた。

僕は絶句してしまい、そのあと彼と書籍について語ることはなくなった。他人が「好きだ」と前置きしたものを、眼前で堂々とこき下ろす神経に圧倒されてしまい、その場では何も言い返す気力が生まれなかった。

今では絶句して話をやめてしまったことを後悔している。ここで「いや、つまらないしか感想ないの?ゲーテの意図を理解しようとしてる?」ともっと掘り下げた方向に持っていければ、自分自身の『若きウェルテルの悩み』の読書体験を、ケンカ腰ではあるけれどもアウトプットすることによってもっと深く理解した経験として刻むことができたのに、当時の僕は「そうか…理解しないやつもいるんだな…」程度の諦めだけを抱いてしまっていて、それ以降自分の好きなものに対する自身さえ揺らいでいるような状態になってしまった。好きなもののとらえ方のひとつのターニングポイントだったと思う。

今日、このポッドキャストを聞いて、その後悔の理由と、自分は本当はどうするべきなのかが見えた気がした。
自分の子供たちにも「パパが好きなものはこれだ、それはこういう理由に起因するから、君たちがこの作品を好きになれるかは別として、パパみたいにこれを好きな人がいるという考えを理解してほしい」と多様性を認める視点を身に着けてほしい。僕にはそれが足りなかったようだ。