Under the roof

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【書評】究極の未知『ソラリス』

ソラリスを再読した。

 

 

 

 

ソラリス (ハヤカワ文庫SF)

ソラリス (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

 

 
きっかけは、先日読んだ上田岳士著『太陽・惑星』内に、スタニスワフ・レムの『ソラリス』が登場したから。
短編『惑星』内にて、主人公のことを『ソラリス』の海に例えるシーン。硬質な印象ばかり受ける『太陽・惑星』の中にあって、詩的で印象に残る表現だった。
 
そういえば、「ハヤカワ文庫補完計画」にて、国書刊行会より単行本出版されていたものの文庫化がされたことを思い出し、それがきっかけで今回読んでみた。
かなり前に『ソラリスの陽のもとに』で発行されていた旧訳は読んでいたので、再読になる。
 
『ソラリスの陽のもとに』はロシア語訳されたものを日本語に訳した「重訳」だったのに対し、今回の『ソラリス』はポーランド語の原著からの直訳で、従来の英語訳に対して若干読みにくいと評判らしかったのだが、僕は別に気にせず読むことが出来た。マクニール『世界史』とかの翻訳の硬さに比べれば、これくらいは特に違和感も感じない。
 
レムの作品の『虚数』や『完全な真空』を読むとつくづく「人間の想像力に限界はない」っていうことを感じさせてくれる。
その最たるものとして、今まで誰も及んだことのない領域であり、これからも色褪せずに君臨し続ける世界がこの『ソラリス』だと僕は考えている。だってもへったくれもなく、そう考えている。
 
SFと言っても、『幼年期の終わり』や『1984年』と同等の古典扱いだと思うので、あらすじは遠慮なくネタバレ含みで書かせてもらう。
てか、ネタバレしても話の筋としてはあんまり関係ないとも思う。実際細部まで読んで、読み手自信がどう感じたかこそが重要な小説だと思うからだ。
 
タイトルにもなっている『ソラリス』は惑星の名前。ソラリスの表面は、全て海に覆われている。そしてその海は、意思を持っている。
 
だが、その海は、おそらく意思を持っているであろう、そうでなければあり得ないパルスを放っている。だがその「意思」と呼べるものを人類ははっきりとキャッチすることはできておらず、おそらくはソラリスの表面の海は意思を持っているけど、何を考えてるかわからないし、思考はひとつなのか複数なのか、人類よりもはるかに優れたものなのか、それら全てが「わかっていない」
 
うん、結局、よくわからない。その、よくわからないということを延々続ける小説が『ソラリス』だ。主人公はそのソラリスの軌道上に浮かぶ調査ステーションに派遣された心理学者で、そこで働いていた調査員たちは全て気がおかしくなってしまっている。その原因の調査と、ソラリスの謎。それがストーリーのメインだ。
 
主人公自身、その調査ステーションで、突然過去に死に別れた恋人と出会ったりするんだが、それはおそらくソラリスの仕業なんだが、結局ソラリスは何がしたいのか、何を考えていたのかは全くわからない。単に人間を観察していたのかという仮説も立てられるが、あくまでもソラリスの意図は何もわからない。
 
そう、この小説は、わからないことをひたすら描写し続けた小説。だけど、なんでこんなのがSF古典の超名作扱いされているのか。
 
それは結局、SFというジャンルそのもののあり方の究極がこの小説にはあるからだと思う。現実にはない世界、未来の超科学、現代の技術では到達できない宇宙、人知を超越した世界、そういったSF世界の究極は、想像し得る最高の「未知」ではないだろうか。
 
未知なるものに遭遇し、それを人類が理解して結論に結びつける、それはあくまで読者に媚びた結論ありきの「未知なるもの」であり、真の「未知」は人間が理解することすらおこがましい。
理解など及ぶ範囲外のものさえ存在するのが当然なのだ。
その究極の形として「意思のある海に覆われた惑星」という衝撃的な形をレムは創り出した。
 
ソラリスの近くにいるだけで発狂する人間、我々は今ここで何をしている?この目の前に現れた恋人の亡霊のようなものは、本当にソラリスの仕業?それとも幻覚?自分は狂ったのか?
結局、答えは「わからない」
わからなければわからないほど、ソラリスのことを知りたくなる。未知なるものへの探求はどんどん膨らむが、未知のまま終わるからこそ、ソラリスはソラリスなのだ。
 
僕もさまざまなSFを読んだが、ソラリスほどSFらしい探究心を掻き立てられ、かつソラリスにしか無い魅力を持つ小説はほかにない。未知であり、魅力的、そんな要素を兼ね備えた小説は、僕にとって『ソラリス』だけだ。