Under the roof

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【書評】忘却は幸福を生み出すのか?『忘れられた巨人』

 

忘れられた巨人

忘れられた巨人

 

 

物事を”忘れる”ということには、ネガティブなイメージが付きまとう。

 

大切な予定を忘れてがっかりしたり、仕事の依頼を忘れて怒られたり、勉強した内容を忘れてテストでひどい結果になったり、恋人や家族との記念日を忘れて気まずくなったり…

 

本書は、『日の名残り』『わたしを離さないで』で有名なカズオ・イシグロの、昨年発行された長編小説。
発刊から1年経った今、積ん読リストの中から引っ張り出して何気なく読んでみた。

 

舞台は5~6世紀ごろのイギリス。アーサー王という歴史上の人物の名前が出てくるが、物語には「鬼」や「竜」などのファンタジー的な要素も登場し、人々の暮らしも現実とはかけ離れた部分がある。


そして、本書の物語上でも重要になるのが、この国の登場人物たち全員がとても物忘れが激しいという点。

 

主人公の老夫婦は、村のはずれに暮らしていて、村人たちから少しばかり虐げられたような生活を送っている。だが、当の本人たちも、周囲の村人たちも、なぜこの老夫婦がこのような扱いを受けているのを忘れている。決まり事として守っていはいるが、それがなぜそうなったのかという原因を思い出せない。

 

そんな村から出て、息子の暮らす村へと行き、息子と一緒に暮らしていこうという提案を老夫婦はするのだが、提案の直後に別の出来事があるとすっかり息子の村へ行こうという決意を忘れてしまう。村人から嫌がらせされては忘れ、夫婦喧嘩をしては忘れる。感情がリセットされ、読者の気持ちは登場人物たちから引き離されてしまう。

 

こんな、忘れることばかりの人たちがなぜ問題なく暮らしてきたのかさえわからないまま、物語は進むようで進まない、独特で奇妙な様相を呈してくる。


それでもなんとか息子の住む村へと旅立つのだが、老夫婦は息子の村への正確な道筋すら覚えていない。

 

こうなってくると、そもそも息子なんているのか?この老夫婦の関係は?何より、なぜみんな記憶が曖昧になり、さまざまなことを忘れてしまうのか?という、ミステリー要素が色濃くなっていく。


旅先で出会った隣村の村人や、兵士、修道士なども、総じて物忘れがひどく、道で検問のようなことを行っていた兵士に至ってはなぜそこに自分がいるのかさえ忘れている始末。こんなんで日常生活がままなっているのかさえ疑問がわく。

 

なぜ、物忘れがひどいのか?というのは、物語上の非常に重要な要素であり、それをいかにして解決していくのかということで登場人物たちから様々な情報が会話に登ってくるのだが、みんな物忘れのひどい人たちなのでそういった情報さえ正しいのかどうかという疑問を抱きながら読み進めることになる。


各々に目標や行動の理由があるのだが、それさえ本当のことなのかどうかがわからない。なので、話の最後まで着地点がどうなるのかがさっぱり見えてこない。

 

結局、はっきりとした背景も示されず、なおかつ登場人物たちの記憶や目的も明確ではないという、霧がかかったような状態で進んでいく物語に、読者の側もぼんやりと取り込まれていき、確実なものなんてないんじゃないかと思わされる。

 

読み終えてみると、普通の小説を読んだ時とは全く違う感覚になる。感動とか、喜びとか、そういうカタルシス感とは全く違う。今まで体験したことのない異質な感覚。

 

物事を「忘れる」ということは、脳の力の一部を失わせているということであり、それは民衆を愚鈍化させ扱いやすくするということでもあると感じる。


政治的なメッセージとかが含まれているわけではないと思うが、バカであるということは幸せであるということと表裏一体で、記憶や思想は争いの大きな原因なんだよ、という人間ならではのもどかしい点を、王道的な物語に絡ませて暗示させていたのではないかなと思わされる一冊だった。

 

何回も読んだほうが、より深いメッセージを汲み取れそうだが、それを否定することも本書のテーマなのかなとも思う。