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【書評】孤独とは、かくも様々な形を成す『百年の孤独』

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

  • 作者: ガブリエルガルシア=マルケス,Gabriel Garc´ia M´arquez,鼓直
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 単行本
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凄い。凄くてわけが分からない。

 

まず、舞台は「マコンド」という村。この村をゼロから開拓して作り上げた「ホセ・アルカディオ・ブエンディア」と、その妻「ウルスラ」から始まる、ブエンディア一族の繁栄と衰退の物語。いや、衰退なんて生ぬるいか。破滅へと向かう物語と言ったほうがいいだろう。

 

読み始めてまず感じるのは、とにかく読みにくいということ。会話文は最低限。状況に対する描写が執拗なまでに羅列され、段落による文の切り替えも少ない。無機質で無感情な語り手によって、ブエンディア一族の生活、成長、行動がひたすら綴られていく。

 

読んでいても肝心な部分、核心の部分が頭に入ってこない感覚。序盤は何度も読むのに行き詰る。

それでもよく読めば話の大筋はなんとか理解できる。が、そのうえでわけのわからないところがたくさん出てくる。

 

例えば、最初から登場している「ウルスラ」は、物語の後半まで一家の中心人物、一族繁栄のキーパーソンとして、150歳くらいまで生きる。100歳を超えて、目が見えなくなっても家の中の秩序を守るために奔走する。そんなやついるかよ、とツッコミたくなるが、本書はそういったSFやファンタジー的な不可思議要素が所々に散りばめられているので、読んでいるうちに自然に受け入れざるをえなくなる。

 

その夫のホセ・アルカディオ・ブエンディアは、ジプシーたちの持ち込んだ磁石やレンズや空飛ぶ絨毯などに魅了され、錬金術の研究に没頭したうえ、理解不能な言語をひとりでわめき散らすようになった揚句、中庭の木に繋がれて放置される。

 

「小町娘のレメディオス」という、作中登場する2人目のレメディオスは、突然なんの前触れもなく天に昇って、そこからは一切登場しない。

 

結局、それらが何を示唆しているのか、裏にどんな意味が含まれているのかまで考えると、さまざまな解釈をすることはできると思う。

が、結局は「よくわからない」部分がほとんど。何せ状況に対する描写はものすごく細かいが、登場人物の心情に関してはほとんど掘り下げられない。

 

この、わからなさ、理解のできなさこそが本書の肝であり、それはすなわちそれぞれの「孤独」を表しているんじゃないだろうか。


誰にだって、他人に理解してもらえない面は持ち合わせている。趣味嗜好、癖、思考の偏り、信念。それに対し、上手く折り合いを付けて他人と行動することによって、初めて孤独から解放される。それこそが社会性であり、生きていくうえで、家族を構成するうえで必要なスキルとなる。

 

なのに、このブエンディア一家は、ほとんどみんながそれぞれ好き勝手に行動をする。男たちはみんな、性に対し貪欲で、愛し合ったわけでもない相手との間に子供が何度も産まれる。形式上は子孫が繁栄していくが、そこに家族としての愛や一体感は感じ取れない。子供も、親も、祖父母も、それぞれが勝手に、思うままに行動して、家を出たり、家族と対立したり、錬金術に没頭したり、引きこもったり、殺されたりと、孤独の道をひた走ってしまう。

 

唯一例外的に、ウルスラは家族の面倒を見て、家計を守り、家を守ろうとするが、それを無視してみんなが孤独の道を進むことを選ぶ。逆を言えば、ウルスラは「孤独に」家族を守り続けたと言えるだろう。


ウルスラ以外にも、一族のため、我が子のために力を捧げる者もいるが、その力が重なり合うことはない。それぞれが、孤独に力を使い果たすのみだ。

 

そしてそれらの孤独感、寂しさを一層際立てるのが、本書の無機質な語り口調。登場人物の目線ではなく、第三者の視点で淡々と事実を描写していく。はじめは、これは所謂「神の視点」、俯瞰した視点から物語を語っているのだろうと感じたが、どうやらそれも違う。とにかくたくさんの登場人物がいて、その場面ごとにメインの人物は変わり、場合によっては国外などに行くのだが、そうなると語りの中心は急にその人物から離れる。逆に言えば、物語の中心は舞台である「マコンド」から離れない。

 

物語の中心は「人」だが、それを語るのはマコンドという「場所」だ。ブエンディア一族はそれぞれの人生を歩み、マコンドを離れる者もたくさんいるが、何故かみんな最終的にはマコンドに戻り、理由は様々だがマコンドでその生涯を終える。


一族はマコンドから離れられず、孤独に付きまとわれるという呪縛から解放されることができない。物語の結末で明らかになる、羊皮紙に記された予言のとおり、すべては妄想か幻であったかのように消え去って終わる。読み手側に残される感情も孤独であり、百年の物語の終わりにふさわしい。

 

読み終えてみると、ゼロから開拓した村が、町、市へと発展していき、栄華を極めた後に衰退していく様は、孤独な戦いをする者にとって自然な結末であり、マコンドそのものも孤独の呪いから逃れられなかったといえる。

まるで幻のように消えてしまう、跡形も残らない結末を迎えるからこそ、本書に詰め込まれたそれぞれの孤独な戦いをより際立たせ、物語に引き込まれてしまう要因なのではないだろうか。

 

結局、読み終えてみて初めて「面白かったな」と思えた。何度か読み返せば、その都度面白いと感じる点も変わるだろうし、途中の一部分だけ読み返しても面白く感じられると思う。一度通して読んだからこそ、様々な面で面白く感じられる、そんな不思議な小説だった。