Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【お題】個人的なネット記事大賞2016『人生が狂っちゃう本』

今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」

 

京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫ - 天狼院書店

 

 

今年読んでよかった記事はこれ。何度も読み返した。

 

冒頭の「本て読むのめんどくさい」という導入から大好きだ。確かにその通り。でも、読むのをやめられない。

 

本を読んで「人生が狂う」ことは、確かにある。ただ、それはかなり限定された条件においてだとも思う。読むたびに本の影響を受けちゃうような人もいるのかもしれないけど、「人生が狂う」くらいの経験を読書から得るにはそれ相応の本自体の強さと、読み手の感受性も求められると思う。

 

例えば僕が今この記事のリストにある本を読んで人生狂うほどの影響を受けることはまずないだろう。大学を出てサラリーマンを10年以上。結婚して子供がいて、今は我が家において子どもたちが生活の中心。これからおそらく僕自身の人生に大きな変化はない。むしろ変化を望んでいない。

 

読んで面白ければ印象に残るだろうけど、それまでだろう。徹夜するくらい面白い小説に出合うこともあるけど、それだけだ。10代の頃のような感受性は失われ、自分がなぜ面白いと思っているのかを掴んだうえで本を読んでいる。

 

だからこそ、この記事を書いた書店員さんが22歳という年齢でこれだけ自分に影響を及ぼした本を紹介できるということが、とても羨ましく、何気なく30代になってしまった自分を顧みるきっかけにもなった。僕が若かったころ、僕を構成していたものっていったい何だったんだろうと。

 

というわけで、今日は自分が『狂わされた』と思う本を3つ紹介したいと思う。

 

◆フランツ・カフカ『流刑地にて』

 

流刑地にて―カフカ・コレクション (白水uブックス)

流刑地にて―カフカ・コレクション (白水uブックス)

 

 

若いころ何度読み返したかわからない短編。『城』とかの長編もいいけど、あれは読み返すなら冒頭だけで充分。繰り返し読むならこの『流刑地にて』が僕にとっての至高だった。

10代の頃、自分はまだまだ選択肢がたくさんあるとぼんやり考えていた。だが、そうでもないぞ、もうすぐ20歳ともなると、自分にとっては大きなことをする可能性って既に結構狭められていてどうしようもないんだな、としみじみ感じるきっかけとなった小説。信じていた理想が瓦解して、諦めて絶望するってこういうことかと、自らを処刑した将校の姿に自分自身を重ねたりした。

 

◆パウロ・コエーリョ『アルケミスト』

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

  • 作者: パウロコエーリョ,Paulo Coelho,山川紘矢,山川亜希子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1997/02
  • メディア: ペーパーバック
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これ読んで影響受けない人っているんだろうかと思うような小説。で、今読んでも影響受けちゃう。


若いころは、夢をあきらめないために。そして年齢を重ねた今は、自分が何を恐れているかを知るために。僕は、望みをかなえることにいつの間にかビビってたんだと気付かされる。
しかし今は、今の生活が変わることに恐れをなしている。変わらないことを望んでいる。クリスタル売りの商人のように、今の生活を続けることを第一に考えている。いつからこうなった?でも、それは自ら進んできた道でもあった。だからこそ、本書のおかげで無駄な恐れを抱かずにいこうと思うこともできた。

僕にとっては上にあげた『流刑地にて』と対極をなす本。両方読めたから、今の僕のバランス感覚が養われたと思う。

 

◆ディーノ・ブッツァーティー『タタール人の砂漠』

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 

このブログでは本書をずっと大絶賛させてもらってる。社会人になってから読んだ中で、数少ない人生狂わされる本。

短い人生を無駄にするな、って頭ではわかってたつもりなんだが、今までどれだけ無駄にしてきたんだろうと振り返らずにはいられなくなる。でも人生無駄にするような怠惰な時間ってなんでこんなに心地いいんだろう。だからこそ、ドローゴに対して自分を重ねずにはいられない。

 

◆◆◆◆

 

短い人生で、読める本は限られてくる。そんな中で、自分の中に確かに爪痕を残してくような本たちと、あと何度出会えるだろう。何年たってもそんなふうに思えたらなと考えながら、今日も面倒臭い読書に勤しんでいる。