Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

5歳の長男との協力プレイがもう最高すぎる『スーパーマリオ オデッセイ』


今更だけど、5歳の息子とマリオオデッセイを協力プレイで楽しんでいる。

 

スーパーマリオ オデッセイ  - Switch

スーパーマリオ オデッセイ - Switch

 

 

息子との協力プレイ、「楽しい」よりも「嬉しい」が圧倒的に強い。この齢にして、とても新鮮な気持ちでゲームができている。任天堂ありがとう。

 

マリオオデッセイのひとりプレイでは、switchとソフトを昨年末に購入後すぐに1週目をクリアして、その後はやり込み要素をちょこちょこ暇なときにこなしていた。なので購入からはすでに1か月以上経って、改めて協力プレイにハマっている形だ。

 

もともとswitch本体とマリオオデッセイが欲しくなった理由が、ゲームに不慣れな小さな子どもでも、協力プレイなら楽しむことができる、という点だった。

長年の夢である息子とのゲームプレイ。結婚以降ゲームから離れていた僕にとって、休みの日に息子とゲームで遊ぶというのはとんでもない魅力だった。

 

なのだが、いざswitchとソフトを購入して「ど~れ、試しにまずはひとりプレイで遊んでみるか…」とマリオオデッセイを始めたところ、あまりにも面白くてもう息子と遊ぶこととか忘れて毎晩ひたすらひとりで没頭してしまった。

ゼルダもそうだが「約束された名作」とはよく言ったもので、満を持して新ハードに投入したビッグタイトルというとても高い期待値のソフトが、しっかり期待通りに面白く遊べてしまうという任天堂の仕事っぷりに毎晩プレイしながら感動してしまった。

 

30代半ばのおっさんが毎晩楽しみにしてしまうコンテンツなんてなかなかないだろう。中学生の頃アホみたいにやりこんだアーマードコア、高校大学と毎年新作を買って毎日毎日ひたすら大量得点の勝利を繰り返したウイニングイレブンシリーズ。今までゲームでどハマりしたものは数多く記憶に残っているが、その頃とはまた違う感動。

 

今の自分がゲームに触れてみて、ああ、良くできてる、面白い、先が気になる、そこでそう来るか…わかる人にはわかるネタだな…的な、自分は大人になって穿った見方しかできなくなったかもしれないけど、大人なりの立場でもまだゲームを心から楽しめるじゃん、という感動だ。

 

そんなこんなで約1週間でエンディングまでたどり着き、マリオオデッセイを充分堪能した僕は息子との協力プレイ前にゲームへの渇望が満たされてしまい、わざわざ休日の昼間に5歳の長男とマリオオデッセイをプレイするのがいろいろな意味で億劫になってしまった。

「いろいろな意味」というのは、5歳の長男とだけゲームをしていれば、間違いなく3歳の娘と1歳の次男も「自分も遊びたい」と介入してくる。まあ、下の子たちにも適度に遊ばせればいいだけなんだが、それだともともとの目的から離れてしまううえに5歳の長男が充分に楽しむことができないどころか面倒なきょうだい喧嘩にも発展しかねない。下の子たちに気を使いながらゲームをするくらいなら、もう子どもたちとみんなで外で凧揚げでもしている方が楽だったり実際僕も子どもたちも楽しかったりする。僕の「息子とゲームしたい」という欲を満たしたいがために下の子たちを蔑ろにするのは違うだろ、と改めて我が家の家族構成を見て考えざるを得なかった結果でもある。

 

だったのだが、先日、たまたま妻が下の子たち2人を連れて買い物に出かけている時間があったため、長男にマリオオデッセイやってみるか振ってみたら二つ返事でやってみたいとの回答。

ちょっと握りにくいswitchのおすそ分けコントローラーを渡し、ここを押して遊ぶというレクチャーをしていざプレイを始めると、もう最初はめちゃくちゃ。

2人プレイではひとりがマリオを、もうひとりがマリオオデッセイの特徴である帽子(キャッピー)のアクションを担当する。キャッピーは無敵で、2P側は自由に帽子で飛び回って周囲の敵を蹴散らすことができるのだが、スティック操作自体が全くおぼつかないゲーム初体験の息子は敵の位置やマリオの周囲とか全く関係なく帽子を画面の外に飛ばしていってしまう。

こっちが思い描いた通りに動いてくれないので、ひとりでプレイした時よりも圧倒的に難易度が高くなる。二人羽織でゲームしているようなものだ。

 

正直、自分の思った通りにキャラクターを動かすこともままならない息子にとって、これが「面白いもの」って認識してくれるのかが全く窺えなかった。自らが操作する帽子はめちゃくちゃな方向に行ってしまい、その間父はマリオを操作してなんとか先に進んで行ってしまう。たまに帽子の正確な操作が必要な時は、僕の方でマリオの向きを正して、息子は帽子を飛ばすボタンを押すだけという状況を設えて先に進む。誰でもできるお仕事になってしまっている。

果たしてこれで息子は「自分がゲームを楽しんでる」という面白味を感じてくれるのだろうかと不安になった。

もうやめたい、飽きた、面白くない…そんな言葉が息子の口から出てきたらおしまいだ…もうしばらく息子と一緒にゲームをするチャンスはやってこない…そんな恐れを抱きながら、なんだかんだ進め、何体かボスを倒し、時間も1時間くらい経過したところで「そろそろやめようか…?」と息子に聞いてみたところ、「やだ!もっと遊びたい!面白いからもっと見てたい!!」と息子から意外な返答がきた。「遊びたい」はもちろんだが、「面白いから見ていたい」は何だか妙に嬉しい回答だった。

そうか、やっぱりコレは面白いものだっていうのを共有できるんだな、と。そのうえで、息子も息子なりにキャッピーを飛ばして敵を倒したり障害物を破壊するのを自分の役割として楽しんでくれている。

 

じゃあ次のボス倒したらおしまいにしよう、と息子に伝えてプレイを再開。そのあとは、僕は画面よりも息子の表情や体の動きばかりを見てプレイを続けた。新たな展開、新たな敵、新たなアクションが展開されるたびに、息子の表情は驚きと喜びの中間のようなニヤニヤ顔が浮かび、僕はそれを見てニヤニヤ。

そうだよ。友達と協力プレイしているわけじゃないんだから、僕までゲームに集中してどーすんだよと。見るべきはゲームして喜んでくれてる息子だよ。確かに最初の最初に比べれば息子のキャッピーの操作は少しずつ上達してるけど、そんなのどうでもよくて、面白いゲームに触れているという喜びを息子が味わってくれていることがこの環境をセッティングした僕にとっての喜びだったんだよと。

 

「動物園行ってゾウを見て感動する我が子」「初めてお手伝いをして、褒められてちょっと誇らしげな我が子」「キャンプに行ってテント貼りやバーベキューに一生懸命な我が子」みたいな、自分の子が新たな世界に触れて感動するのを見る、って親にとっては最高に面白いことだけど、このマリオオデッセイの協力プレイもまさにそれだった。ゲームに初めて触れる子どもが、操作でも演出でも飽きずにワクワクしながらプレイできる。横でプレイする僕は2週目だけど、あえて先を知っているからこそ「この敵強い!」とか「コレなんだと思う!?」とか息子を盛り上げる演出を兼ねることもできる。それでさらに喜んでくれる息子。

もう、それの繰り返しで僕が嬉しくなりすぎてもっと続けていたいと思ってしまった。

 

本当に、子育てしてたら普通のことというか、「息子とキャッチボール」「娘とお料理」みたいに感動的だけど当たり前に通るべき道の一部なのかもしれないけど、僕にとっては息子とゲームデビューがこんな大成功に終わるとは思ってもみなかったので、繰り返すけどマリオオデッセイと任天堂ありがとう、という気持ちを噛みしめながら、次にまたマリオオデッセイをできる休日を楽しみにしている状況だ。