Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】人生・生命・涙。テッド・チャン『息吹』

 

息吹

息吹

 

 

流石テッド・チャン。17年ぶりの新作で、『あなたのための物語』の高い高いハードルを余裕で越えてくれた。

まずは最初の「商人と錬金術師の門」
どの書評サイトでもまずこの作品で大絶賛だった。僕もこれを読み始めてすぐに「ああ、テッド・チャンだ…」と久々の新作に手を触れられた喜びを感じた。

舞台は中世アラビア。くぐった先が20年前か20年後に繋がっているタイムトンネルみたいなものを中心に、それを利用した人たちについて語り部が話すという形でに物語は展開する。まるでアラビアンナイトみたいで、この設定だけでもう引き込まれる要素は充分。
このタイムトンネルには重要な事項が定められていて、まずタイムトンネルの場所を変えることができない。そして、タイムトンネルで20年前の過去を訪れたとしても、そのとき起こったことを変えることはできない。
過去も未来も変えられないのに、人々はこのタイムトンネルを利用し、それぞれの夢や不安や過去の悲しみをどうにかしようと行動する。短絡的な行為をしてしまうものもいれば、深い思慮によって困難を乗り切るものもいる。
過去も未来も変えられない、という条件下でも、自分が知り得なかったことを知ることで不安や悲しみから脱する登場人物たちの姿に心打たれる。起きてしまったことが覆らなくても、悲しみや罪悪感からの救いは何か別なものによって得られることはあるという人間の姿を見ると、人生の奥深さについて考えさせられた。

続いて表題作「息吹」

空気で満たされたボンベみたいなものを肺にセットする必要のある機械人間たちの世界を探求する話。ボンベは定期的に交換しなくてはならず、交換を怠ると生命機能が停止してしまうが、逆に交換し続けてさえいればこの機械人間たちは永久に死ぬことはない。
ちょっとレトロささえ感じるこの世界において、時間の流れの変化を示唆させる出来事が起きる。その謎を解き明かすために機械人間のうちのひとりである科学者が、自分の脳を解剖するという…いやもう、何がどうなんてどこと繋がっているの?この話どっから考えたの?というような世界を描き出す。
仮想の世界を一から描き出すことにより、そこに存在する謎が解き明かされていく様子がとてもスリリングだった。読み返してみると個人的に本書の中ではいちばん好きかも。

ほぼ中編の長さの「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」では、仮想世界におけるAIの育成についての話で、自立した人工知能には法人と同じような権限が与えられるべきかというような、現実に即した世界への見通しが提議される。人生というものの捉え方を追求した「商人と錬金術師の門」に対し、命そのもののありかたについて追求した作品といえる。すんなり理解しやすいストーリーではあるんだが、子を持つ親の身としてはかなりヘビーな内容だった。

ほかに個人的に気に入ったのは、「大いなる沈黙」と「オムファロス」あたりかな。どちらも強烈な設定ありきの、自分が今見ている世界をがらりと変えられるような視点をもたらしてくれる作品。

是非みんなに読んで欲しい。圧倒的に面白くて、考えさせられて、崇高で、泣ける。本当に、もっとたくさん作品出して欲しいよな…
もしも、『あなたのための物語』が未読なら、そちらも是非。未読の方は幸せです。