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Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】負の連鎖で起きた悲劇『「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち』

 

「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち

「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち

 

 

子を持つ親としては目を覆いたくなるような、虐待、育児放棄、殺害、死体遺棄が行われた3件の事件のルポ。いずれもテレビやネットのニュースをセンセーショナルに賑わしていたものばかりだ。すべて2014年から2015年と最近起きた事件で、今年開かれた裁判内容さえルポには含まれている。

 

虐待死を起こした犯人に対して、僕たちはよく「犯人も同じ目に合わせろ」という言葉を口にしたくなる。


「暴行をした」「食事を与えなかった」「タバコの火を押し付けた」「首輪をつけて監禁した」などの目を覆いたくなるような事件報道。それに対し、テレビ報道ではコメンテーターたちの「酷い」「残酷だ」といった意見。ネット掲示板では、コメント欄にて「コイツも同じ目にあわせろ」「人間のやることじゃない」などの意見をよく目にする。

 

それもしかたないことだが、じゃあなぜこんな凄惨な事件が起きてしまたのか、なぜ、犯人は我が子に対してこのような犯行に及んでしまったのかというところまで突っ込む人はいったいどれくらいいるのだろう。


僕だって、こんな事件を犯した犯人に対して擁護したい気持ちはさらさらない。だけど、事件の表面だけ見て断罪するのではなく、なぜ小さな子供が虐待死しなければならなかったのか、このような結果になってしまったかの経緯を知りたいという気持ちは強くあった。
もちろんテレビなどでは犯人の人物像や私生活について報道されることもあるが、ほとんどの場合は犯人が一般的な感覚からズレた存在であるということについて掘り下げたものばかりであり、実際に事件に至った経緯を正確に記したものとは言い難いことが多い。

 

本書は、「厚木市幼児餓死白骨化事件」「下田市嬰児連続殺害事件」「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」の3つのセンセーショナルに報道された事件についての詳細なルポだ。犯人の人物像から生活環境、家族関係や仕事、さらには本人や家族からの直接のインタビューまでが収録されている。

 

強烈に記憶に残るような凄惨な事件の犯人は、いったいどんな「鬼畜」なんだろうという先入観を持って読んだ。
が、読めば読むほど「どこかで止めるチャンスはあったのに、どうしてこんな最悪な結果になるまで止まらなかったんだろう」という気持ちにならざるを得なかった。

3つの事件とも、我が子に対し虐待やネグレクトを繰り返し死に至らしめた犯人たちはみな、「自分は子供の面倒を見ていた」「子供を愛していた」と述べている。それは嘘ではなく本心から出ている言葉なのにもかかわらず、本人の能力の欠如と、その周囲の人や環境が悪すぎたためにもたらされた結果でもあったという一面が見えてくる。

 

例えば、厚木市幼児餓死白骨化事件。犯人である父親は、5歳の息子を電気も水道も止められゴミ屋敷と化したアパートの一室に閉じ込めて、食事は1日1食、酷いときは1週間近くアパートには戻らず息子を放置し、最終的に死に至らしめ、さらにはその死体を7年間も放置し白骨化させた。

 

この事件で逮捕された父親は、刑の確定後に著者から受けたインタビューに対し平然と「俺は面倒を見てましたよ!」と言ってのけた。

 

この、傍から見ればありえないとしか言いようのない「育児してましたよ」宣言が、罪を軽くしたい、現実から目を背けたいといった卑怯さからくるものではなく、いたって本気で「自分は面倒を見ていた」と胸を張って答えているところに、この事件の本質ともいうべき部分が見えている。

 

本人は本気で「ちゃんと面倒見ていた」と言っている。食事が1日1回以下でも「栄養は足りてました」と言い、気が向いたときに公園に連れて行ったり、電気も水道も止められたゴミ屋敷の中で遊んであげることを「育児していた」と言っている。本人は「決定的に間違った方法だった」とは夢にも思っていないのだ。
英語が苦手な人がアメリカ人とコミュニケーションを上手く取れないように、パソコン初心者がエクセルでの収支管理で間違いを犯すように、この事件の犯人は正しい育児の知識が大きく欠落しているため、まるでペットや育成ゲームのキャラを殺してしまうように我が子のことも放置して殺してしまった。

 

なぜこの犯人は育児や生活に対する正しい知識や最低限の常識的なものを持ち合わせていなかったのか。
重度の発達障害や、知的障害があってそもそも社会不適合者だったのかとも思えるが、実際はきちんと仕事をしているうえに会社からの評価は悪くなかったりと、一見して性格や知的能力に問題があったというわけではなかったようなのだ。

 

しかし、実際は電気・水道の止まった部屋でそのまま生活したり、妻が出て行って昼間子供を見る人がいない状況でも、特段気にせず日中我が子をゴミ屋敷のの中に放置した。当の本人には「なんとかなる、なんとかなっている」という気持ちがあり、一向に改善する気がない。普通なら電気水道を使えるようにし、育児も親族や行政を頼ってなんとかしようと考えるところを、彼は「別に問題ない」と考えてしまっているのだ。

これは本書に記されている3つの事件の犯人全員に言えることなんだが、仕事をこなしたり、他人とコミュニケーションをとったり、一般的な生活を送ることに対して問題がなくても、子供を育てるための配慮や知識という点に関しては大きく欠落していたり無頓着だったり、という傾向が見受けられた。パッと見はわからないが、育児や生活の管理などの力が著しく欠如していたのだ。子育てを継続的に行うには能力不足としか言いようがない。

 

だとしたら、本人以外の周囲からの手助けはなかったのだろうか。これに関しても、事件を犯した本人は親とほぼ絶縁状態だったり、自分と同じように子育てに対して無頓着なシングルマザーのもとで育てられたために、助けを求めるどころか足を引っ張り合うような環境に陥ってしまっているケースがほとんどだった。犯人の親のほうこそ、よく犯罪を犯さなかったなと考えてしまうくらい荒んだ人物が多い。加害者となってしまった犯人たちでさえ、自分の親や周囲の人からひどい扱いを受けてきた被害者の一面を持っているのだ。自分自身の生活さえ上手くコントロールできないのだから、子供をしっかり育てることなんて到底無理だろう。

 

こういった虐待やネグレクトが疑われる家庭に対して、行政による調査や強制的な介入によって救われる子供たちもいるが、本書に収められた事件に関しては残念ながら犯人自身が隠ぺいしようとしたり、周囲に相談することもなかったため、行政側も途中で防ぐことができなかった。

 

育児能力の欠如、手助けしてくれないどころか足を引っ張ってくる周囲の親族、最後の防波堤であるべき行政からの手助けも及ばない。様々な要因が重なった結果、本書に収められたような最悪の事態へと発展してしまった。

 

もちろん犯人が悪くないとか、もっと罪を軽くするべきだとかそういったことではない。ただ単に犯人が凶悪な「鬼畜」だったから起きた事件だと断罪するのではなく、なぜこんな劣悪な状況が生まれてしまったのかというニュートラルな視点で見ることにより、同じような事件が起きないためにはどうすればいいのかということが見えてくるはずだ。事件の背景を暴くことにより、同じ過ちを繰り返すべきではないという警鐘となってくれればと感じる一冊だった。