【書評】凶悪犯も、実態は凡庸な人間だった『肉声 宮崎勤30年目の取調室』
1988年の8月から翌年6月にかけて、4人の幼い女の子が誘拐され殺害された連続殺人事件の犯人「宮崎勤」
本書は、事件から30年たった今、犯人と捜査一課の大峰警部補との取り調べを録音した音声テープの内容をまとめて公開したものだ。
当時、テレビ・新聞などのメディアはこぞって事件をセンセーショナルに取り上げていたのはなんとなく覚えている。
今や小学生のランドセルには防犯ブザーをつけるのが当たり前だが、知らない大人に声掛けられたらついて行かない、逃げる、大声を出す、などの簡単な誘拐対策を学校、幼稚園、各家庭でこどもに対して徹底しだしたのはこの事件の影響が大きかったといえるだろう。
事件当時、僕はちょうど殺害された被害者たちと同じくらいの年齢だった。そして今は、被害者と同じ年齢の子どもたちが家族にいる。
本書で事件の顛末を改めて知ると、僕にとっては見るのも辛くなるようなレベルの犯行だった。
なんとなく覚えていた部分もあったが、それでも被害者家族に骨と犯行声明を送りつけたり、あっけなく殺害して山中に遺棄していった経緯などは目を背けたくなった。遺族の悲しみは推し量れない。
事件の経緯のみを読めば、犯行自体の残忍さと、犯人の得体の知れない不気味さが今読んでもかなり衝撃的だ。
だがしかし、本書において著者は、犯人宮崎勤の声を聴いたとき「拍子抜けするくらいまともな人間」という印象を抱いたという。確かに取り調べを担当した大峯警部補とはしっかりと意思の疎通も取れ、細部でごまかしたり、強い口調で否定したりと人間らしい会話を繰り広げているのがわかる。
当時の報道では、宮崎の部屋にあった膨大な量のビデオテープで「おたく=不気味な存在」といったイメージ付けや、公判での意味不明な言動と精神鑑定もあいまって、得体の知れない殺人鬼という印象づけがされていたように思う。
しかし、取り調べの会話の限りは、ごく普通の受け答えをし、ばれないとみればその場しのぎの嘘をつきまくるありきたりな犯罪者の姿があった。反吐が出るレベルの事件を起こした犯人は、凡庸な人間でもあったというわけだ。
許されざるような悪逆な事件を犯した犯人は、ごくごく凡庸な人間だった。これは事実なんだが、読み手としてはどうしても感情が先行してしまい「絶対悪としての犯人像」ばかりを求めてしまう。
日本のマスコミはイメージばかり先行させる報道をしがちだという批判が出ることがあるが、この事件を見る限りやはり冷静に事件を受け止めるというのはとても難しい。
凶悪な犯罪が後に残すものは、被害者たちの悲しみだけではない。社会へ残す爪痕もとてつもなく大きいものだということを、本書によって改めて認識した。