Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】何かにおびえていることを思い出した『男性漂流 男たちは何におびえているか』

30代の男性は、自分を省みるきっかけの一冊になるかもしれない。

男性漂流 男たちは何におびえているか (講談社 α新書)

男性漂流 男たちは何におびえているか (講談社 α新書)


「男たちは何におびえているか」
この副題が怖い。自分も、漠然とした不安に怯えていることを、目を背けてきたのに思い出させられる感覚。

結婚、育児、介護、老化、仕事。
それらが、自らに迫ってくる現実として怖いと感じる男たち。
著者が現実に取材することによって浮き彫りになった実態が綴られる。

本書の特筆すべきところは、すべてのテーマにおいて、複数の人物に対し何年もにわたって取材をしているところ。「結婚がこわい」では、始めは結婚に対して余裕で構えていた男性がそのうち周りの意見や流行りの情報に影響され、徐々に結婚を焦り、本人の内面の著しい変化をもたらしていく様子は、長期取材ならではの時間による心境の変化をモロに感じさせてくれる。

「育児がこわい」では、「仮面イクメンの告白」として、実際は子供や家庭、さらには仕事との折り合いを含めてうまくいっていない男性が、表面上だけでも「自分は今流行りのイクメンの一員として、仕事も家庭も大切にする素晴らしい父親だ」という幻想に囚われ、イクメンと言う仮面の下に消耗した自分自身を隠している姿。

「イクメン」という言葉自体に、違和感や拒絶反応を示す人もいると思う。イクメンも何も、共働きなら家庭のことは男も当たり前にやる。むしろ妊娠・出産・授乳という女性しかできないこともあるんだから、それよりも男のほうが頑張るべきじゃないのかと。

ただ、イクメンという言葉に過剰に反応して、上記のような拒絶反応を示したり、あるいは実際の家庭環境を掘り下げたうえで「お前はニセイクメンだ」と糾弾したりと、軽いイメージの先行した「イクメン」が独り歩きしてしまった部分も最近はあるんじゃないだろうか。
結果的に「自分でイクメンとか言うやつにロクなやつはいない」とか「逆に自分のことを軽々しくイクメンと呼んでほしくない」というネガティブなレッテル貼りのイメージが背後に潜んだ言葉となってきている側面もあるように感じる。

本書に登場する自称「イクメン」たちも、仕事は充実し、家庭も円満、そして育児も積極的に携わる、理想的な父親を「無理に演じている」人たちが、徐々に理想と現実のギャップに追い込まれていくというケースが、取材により明るみにされていく様子を見ることができる。

イクメンの話にばかり偏ってしまったが、婚活で理想の相手を見つけようとする男性も、親の介護という現実に直面しなければならない人も、世間一般の理想とされる幻想を追いかけた結果、現実とのギャップに苦しんでいく人たちが多いという現状を、本書はよく表していると思う。

意識高い系に代表されるような、メディアが作り出した架空の理想像に踊らされ、自分の立ち位置との違いにいつの間にかはまり込んでしまう辛さ。

つまり、理想像が美しすぎるからこそ、自分がそうなれないという現実を突きつけられる悲しさを感じることに「男たちは怯えている」のではないだろうか。

自分の立ち位置をしっかり把握して、できることをこなすように努めれば、仕事と家事を無理なくこなす普通の父親になれるのに、無理して背伸びした家庭環境や理想の高すぎる子供の教育などに手を出し、最終的には自分の首を絞めるような結果に追い込まれてしまう。
そんな、現実を見ようとしない男たちこそ、本来の自分の姿に怯えているように思えてならない。