Under the roof

三児の父が育児、家事、読書のこととか書きます

【書評】わたしの考えは、わたしのコミュニティにあります『知ってるつもり――無知の科学』

 

知ってるつもり――無知の科学

知ってるつもり――無知の科学

  • 作者: スティーブンスローマン,フィリップファーンバック,橘玲,土方奈美
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/04/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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何でも知ってると勘違いして思い上がるな、という「戒めのための本」かなと思ったら、全然違った。


むしろ、なぜ人は良く分かっていないことについてそんなに気にせずに生活できるのか、ということを詳しく掘り下げた本だ。


例えばトイレやファスナーについて、それがどういう仕組みで動いているか説明しなさいと言われると、驚くことに多くの人がその構造について詳しく説明することができない。本書の解説や絵を見れば一目瞭然なんだが、それでも確かにこれを読むまでは自分でもよくわかってなかったかも…となる。


ほかにも自転車のフレームの絵に「正しくチェーンとペダルを書き込む」というテストをしても、多くの人が2つの車輪を直接チェーンで繋げたり、チェーンと関係ない場所にペダルを付けたりと、全くとんちんかんな答えを書いたりする。


本書ではこれを『知識の錯覚』と呼んでいる。


自分はよくわかっているつもりのことでも、実際は詳しく説明することができないことが世の中には驚くほど多い。


だから、もっと謙虚になれ!と上から目線で言ってくるだけではないのが本書のポイント。


じゃあなんで、我々は身近でとてもよく使うトイレやファスナーや自転車について詳しく説明できる知識を持ち合わせていないのに、問題なく日々の生活を送れているのか。


いや、トイレの構造は図を見ればみんな理解できるし、仕組みを説明できなくても生活に支障はないから別にいい。


問題は、政治や経済など生活の基盤をなす重要な事柄でも、我々はよく知らなくても生活できてしまっているということだ。


我々は知識を「コミュニティ」に依存している。トイレの構造を知らなくても、トイレが故障したら業者を呼んで修理してもらうことができる。


逆に自分が詳しい分野なら周囲にその知識を提供することもできる。人間は自分の頭の中にない知識でも、明確に線引きせずに利用することによって知らず知らずに「知識のコミュニティ」のなかで生活を送っている。


だから、様々な知識を持つ人が関わることによってスマートフォンのような複雑なものを作ることができるし、難しい政治のことを良く知らなくても世界は上手く回ってしまう。


ただ、これは上手く回っているように見えるだけで、実際には誤った選択をしたままになってしまう危険もある。


予防接種について、ワクチンを受けないことによるマイナスの影響を伝えたり、麻疹にかかった子どもの痛ましい物語を聞かせたりと、子を持つ親たちのグループに様々な「接種を促すための啓発」をしたが、結果はどのグループもワクチン接種の希望者は全く増えなかった。科学的な知見は、「知識のコミュニティ」で得た「知識の錯覚」を変えるのは難しいということだ。


この錯覚を変えるのはとても難しい。自分の考えと思っているものも、それは「知識のコミュニティ」から生まれたものであり、逆に言えば「知識のコミュニティ」を変えるような働きかけをしないと個人個人の「知識の錯覚」も変わらない。


極端な話、政治や社会についてはコミュニティいが間違っていれば道を正すのは難しいという身も蓋もない話だ。だが、それでも個人として知識を深め、コミュニティに反映させていくという地道な方法は残されてはいる。


自分自身の知識と思っていたものを「知識のコミュニティ」の影響だということを再認識し、そのうえで個人として何を考えるべきかを見つめなおさせてくれる一冊だった。