【書評】どんな小さな世界にも希望はあると教えてくれる『カタツムリが食べる音』
- 作者: エリザベス・トーヴァ・ベイリー,高見浩
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2014/02/25
- メディア: 単行本
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体に力は入らず、体を起こすこともままならない。
自宅から離れた療養所にて、いつ終わるともわからない苦しい状況にいる著者のもとに、見舞いに来た友人が野生のスミレなどを移植した鉢植えなどとともに、近くにいた一匹のカタツムリを連れてきた。
たった一匹の小さな、ごく普通のカタツムリ。それが部屋にやってきたことにより、著者の止まっていた時間が動きだす。
家族に、友人に、ペットに生きる希望を与えてもらった感動話などは書籍やテレビなどで目にする機会はたくさんある。が、カタツムリが生きる希望を与えてくれるなんて話は今までなかっただろう。
「カタツムリが食べる音」というタイトルだが、カタツムリがものを食べた時に音がする、ということ自体が普通の生活をしていては気付かないことだ。カタツムリの研究者などごくわずかな人なら、カタツムリの食事方法からその音まで知っているかもしれないが、著者は身動きとることすら難儀している病人だ。逆に言えば、そんな状況下におかれている人だからこそ、カタツムリが夜中に花びらを「食べる音」を聞くことができたのだろう。
カタツムリという生きものの詳細な生態観察日記ではなく、本書はエッセイとしての色が強い。
しかし、本書の中心にいるのは間違いなくただのカタツムリで、その生活の細部を観察することによって、結果的に著者自身がカタツムリを通して生きる希望を持つことになる。カタツムリが「食べる音」だけでなく、自由だった森から病室に連れてこられたその環境の変化に対する戸惑い、そして新しい環境でも果敢に探検に出かける姿。探検の後も最終的には寝床である鉢植えに帰り、日中のほとんどを寝て過ごす。この「寝て過ごす」の部分さえ、著者にとっては自分の置かれている環境に重ねてシンパシーを感じる。
たかがカタツムリだが、その生態を見ているだけでも著者にとっては新鮮な生命の営みであり、生きることの面白さ、病室の一角で花弁などの食事と狭い範囲の探検を繰り返すだけの生活ですら無限の広がりを持っていることを教えてくれる。著者自身も制限された状況に置かれているが、それでもカタツムリを通して見る限り、自分自身も無限の広がりの中にいることを感じられる。
絶望とは希望のないことだ。原因不明の病のにかかり、身動きできずに病室から出られなくなれば絶望を味わうのも無理はない。そんな状況で、著者を夢中にさせて絶望を忘れさせてくれたカタツムリは、間違いなく希望の象徴だったと言えるだろう。
ごくごく軽い語り口のエッセイのような本だが、今まで目を向けたことのない世界の広がりを感じた。カタツムリに興味がない人でも、読み物として面白いのでオススメ。